鈴木孝雄
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- すずき たかお
- 鈴木孝雄
- 陸軍大将正三位勲一等功三級
- 砲兵
- 士候2
- 千葉県
- 明治2年10月29日 - 昭和39年1月29日
経歴
明治2年10月29日 | 生 |
明治24年7月30日 | 陸軍士官学校卒業(士候2) |
明治25年3月21日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治45年5月8日 | 野砲兵第21聯隊長 |
明治45年7月15日 | 陸軍砲兵大佐 |
大正3年5月11日 | 陸軍省軍務局砲兵課長 |
大正6年8月6日 | 陸軍少将・野砲兵第1旅団長 |
大正8年2月20日 | 野戦重砲兵第1旅団長 |
大正10年3月11日 | 陸軍士官学校長 |
大正10年7月20日 | 陸軍中将 |
大正11年8月15日 | 砲兵監 |
大正13年2月4日 | 第14師団長 |
大正13年8月20日 | 補陸軍技術本部長 |
大正15年7月28日 | 補軍事参議官(親補) 兼補陸軍技術本部長 |
昭和2年7月26日 | 陸軍大将 |
昭和3年3月8日 | 陸軍技術会議議員被免 免兼職 |
昭和8年3月18日 | 待命 |
昭和8年3月30日 | 予備役 |
昭和10年4月1日 | 後備役 |
昭和13年4月21日 | 別格官幣社靖国神社宮司被仰付[1] 勅任官ヲ以テ待遇セラル[2] |
昭和14年4月1日 | 退役[3] |
昭和39年1月29日 | 薨去 |
栄典
明治25年7月6日 | 叙正八位[4] |
功四級金鵄勲章 | |
功三級金鵄勲章 | |
大正6年8月30日 | 叙正五位[5] |
大正8年12月15日 | 戦捷記章[6] |
大正10年8月10日 | 叙従四位[7] |
昭和2年9月6日 | 勲一等瑞宝章 |
昭和8年7月21日 | 勲一等旭日大綬章 |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[8] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第3599号 大正13年8月21日(木曜日)
- 官報第4180号 大正15年7月29日(木曜日)
- 官報第211号 昭和2年9月9日(金曜日)
- 官報第357号 昭和3年3月9日(金曜日)