篠原次郎
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- しのはら じろう
- 篠原次郎
- 陸軍中将功三級
- 歩兵
- 士候20 陸大27
- 長野県
- 明治20年10月2日 -
経歴
明治20年10月2日 | 生 |
明治39年12月1日 | 陸軍士官学校入校 |
明治41年5月27日 | 陸軍士官学校卒業(士候20) |
明治41年12月25日 | 任陸軍歩兵少尉 |
大正1年12月13日 | 陸軍大学校入学 |
大正4年12月11日 | 陸軍大学校卒業(第27期) |
大正12年8月6日 | 任陸軍歩兵少佐 |
大正14年5月1日 | 陸軍歩兵学校研究部主事兼同校教官 |
昭和3年3月24日 | 任陸軍歩兵中佐 |
昭和4年8月1日 | 陸軍戸山学校研究部主事兼同校教官 |
昭和5年8月1日 | 陸軍兵器本廠附兼陸軍省副官 |
昭和7年8月8日 | 任陸軍歩兵大佐・関東軍高級副官 |
昭和8年8月1日 | 歩兵第38聯隊長 |
昭和10年3月15日 | 第12師団参謀長 |
昭和11年8月1日 | 東京陸軍幼年学校長 |
昭和11年12月1日 | 陸軍少将 |
昭和13年3月1日 | 歩兵第30旅団長 |
昭和14年8月1日 | 陸軍中将・留守第5師団長 |
昭和16年10月15日 | 待命 |
昭和16年12月2日 | 予備役 |
昭和20年3月31日 | 補神戸聯隊区司令官兼神戸地区司令官 |
栄典
明治45年3月1日 | 叙従七位 |
昭和7年6月15日 | 叙従五位 |
昭和9年2月7日 | 勲三等瑞宝章[1] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[2] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和3年9月1日調
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和4年9月1日調
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和5年9月1日調
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和10年9月1日調
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第74号 昭和20年3月31日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120937900
- 官報第8608号 明治45年3月2日(土曜日)
- 官報第1647号 昭和7年6月28日(火曜日)