荒木貞夫
ナビゲーションに移動
検索に移動
- あらき さだお
- 荒木貞夫
- 陸軍大将従二位勲一等功四級男爵
- 歩兵
- 士候9 陸大19首席
- 東京府華族
- 明治10年5月26日 - 昭和41年11月2日
経歴
明治10年5月26日 | 生 |
明治30年11月29日 | 陸軍士官学校卒業(士候9) |
明治31年6月27日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治35年8月9日 | 陸軍大学校入学 |
明治37年2月9日 | 陸軍大学校中退 |
明治39年3月20日 | 陸軍大学校復校 |
明治40年11月30日 | 陸軍大学校卒業(第19期首席) |
明治42年11月30日 | 任陸軍歩兵少佐[1] |
大正4年8月10日 | 任陸軍歩兵中佐[1] |
大正7年7月24日 | 任陸軍歩兵大佐[2][1]・関東都督府附 |
大正7年11月1日 | 浦塩派遣軍参謀 |
大正8年7月25日 | 歩兵第23聯隊長 |
大正10年4月1日 | 参謀本部欧米課長 |
大正12年3月17日 | 任陸軍少将・歩兵第8旅団長 |
大正13年1月9日 | 憲兵司令官 |
大正14年5月1日 | 参謀本部第1部長 |
昭和2年7月26日 | 任陸軍中将 |
昭和3年8月10日 | 陸軍大学校長 |
昭和4年8月1日 | 第6師団長 |
昭和6年8月1日 | 教育総監部本部長 |
昭和6年12月13日 | 陸軍大臣 |
昭和8年10月20日 | 任陸軍大将 |
昭和9年1月23日 | 依願免本官 補軍事参議官(親補)[3] |
昭和11年3月6日 | 待命 |
昭和11年3月10日 | 予備役被仰付[4] |
昭和12年10月15日 | 内閣参議 |
昭和13年5月26日 | 文部大臣 |
昭和14年8月30日 | 依願免本官[5] |
昭和14年12月1日 | 内閣参議被仰付[6] |
昭和15年8月3日 | 依願内閣参議被免[7] |
昭和41年11月2日 | 薨去 |
栄典
勲章等
明治31年7月21日 | 叙正八位 |
明治34年2月28日 | 叙従七位 |
明治37年10月24日 | 叙正七位 |
明治39年4月1日 | 功五級金鵄勲章 勲五等双光旭日章 明治三十七八年従軍記章 |
明治42年12月20日 | 叙従六位 |
大正1年8月1日 | 韓国併合記念章 |
大正3年5月6日 | 勲四等瑞宝章 |
大正4年1月30日 | 叙正六位 |
大正4年11月10日 | 旭日小綬章 大正三四年従軍記章 |
大正7年8月30日 | 叙従五位 |
大正7年9月26日 | 勲三等瑞宝章 |
大正9年11月1日 | 功四級金鵄勲章 旭日中綬章 |
大正12年5月21日 | 叙正五位 |
昭和2年9月1日 | 叙従四位 |
昭和2年9月6日 | 勲二等瑞宝章 |
昭和4年10月1日 | 叙正四位 |
昭和6年12月15日 | 叙従三位 |
昭和7年1月15日 | 勲一等瑞宝章[8] |
昭和8年12月15日 | 叙正三位[9] |
昭和9年4月29日 | 授旭日大綬章 昭和六年乃至九年事変従軍記章[10] |
昭和10年12月26日 | 男爵 |
昭和14年3月15日 | 叙従二位 |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[11] |
外国勲章
大正3年7月26日 | ロシア帝国ロマノフ王室治世三百年記念章佩用允許 |
大正5年11月15日 | ロシア帝国聖ウラジミール剣付第四等勲章佩用允許 |
大正6年11月7日 | ロシア帝国聖アンナ剣付第二等勲章佩用允許 |
大正9年2月21日 | フランス共和国銀色エトアル付クロアドケール佩用允許 |
昭和8年7月25日 | ペルー共和国ソレイユ勲章グランクロア佩用允許[12] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報号外 明治39年12月4日(火曜日)
- 官報第211号 昭和2年9月9日(金曜日)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正7年9月1日調
- ↑ 官報第1794号 大正7年7月25日(木曜日)
- ↑ 官報号外 昭和9年1月23日(火曜日)
- ↑ 官報第2755号 昭和11年3月11日(水曜日)
- ↑ 官報号外 昭和14年8月30日(水曜日)
- ↑ 官報第3873号 昭和14年12月2日(土曜日)
- ↑ 官報第4074号 昭和15年8月5日(月曜日)
- ↑ 官報第1511号 昭和7年1月16日(土曜日)
- ↑ 官報第2093号 昭和8年12月21日(木曜日)
- ↑ 官報第2696号 昭和10年12月27日(金曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)
- ↑ 官報第1972号 昭和8年7月28日(金曜日)