菱刈隆
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- ひしかり たか
- 菱刈 隆
- 陸軍大将正三位勲一等功五級
- 歩兵
- 士候5 陸大16
- 鹿児島県
- 明治4年11月16日 - 昭和27年7月31日
経歴
明治4年11月16日 | 生[1] |
明治27年7月27日 | 陸軍士官学校卒業(士候5) |
明治27年9月18日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治32年12月13日 | 陸軍大学校入学 |
明治35年11月28日 | 陸軍大学校卒業(第16期) |
大正2年3月4日 | 陸軍歩兵学校教官 |
大正3年8月10日 | 陸軍歩兵大佐・歩兵第4聯隊長 |
大正5年4月1日 | 第2師団参謀長 |
大正7年7月24日 | 陸軍少将・歩兵第23旅団長 |
大正9年2月23日 | 陸軍戸山学校長 |
大正12年8月6日 | 任陸軍中将[1]・由良要塞司令官 |
大正13年2月4日 | 第8師団長(親補) |
昭和2年8月26日 | 第4師団長(親補) |
昭和3年8月10日 | 台湾軍司令官(親補) |
昭和4年8月1日 | 任陸軍大将[1] |
昭和5年6月3日 | 関東軍司令官(親補) |
昭和6年8月1日 | 軍事参議官(親補) |
昭和8年7月28日 | 補関東軍司令官(親補) 兼任特命全権大使関東長官 満洲国駐箚被仰付(特命全権大使)[2] |
昭和9年12月10日 | 軍事参議官(親補) |
昭和10年8月1日 | 待命被仰付[3] |
昭和10年8月28日 | 予備役被仰付[4] |
昭和12年4月1日 | 後備役 |
昭和14年 | 大日本忠霊顕彰会会長 |
昭和16年4月1日 | 退役 |
大日本剣道会会長 | |
昭和27年7月31日 | 薨去 |
栄典
明治27年10月26日 | 叙正八位[5] |
勲四等瑞宝章 | |
明治39年4月1日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲四等旭日小綬章 明治三十七八年従軍記章[6] |
大正3年11月30日 | 勲三等瑞宝章[7] |
大正7年8月30日 | 叙正五位 |
大正12年11月20日 | 叙従四位[8] |
大正14年12月1日 | 叙正四位 |
昭和3年12月15日 | 叙従三位 |
昭和4年9月4日 | 勲一等瑞宝章 |
昭和6年12月28日 | 叙正三位[9] |
昭和9年2月7日 | 旭日大綬章[10] |
昭和9年5月9日 | 満洲国勲一位龍光大綬章 |
昭和9年時点 | 中華民国三等文虎勲章[1] |
昭和10年12月23日 | 旭日桐花大綬章 昭和六年乃至九年事変従軍記章[11] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[12] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第3098号 昭和12年5月5日(水曜日)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和9年9月1日調
- ↑ 官報第1973号 昭和8年7月29日(土曜日)
- ↑ 官報第2575号 昭和10年8月2日(金曜日)
- ↑ 官報第2598号 昭和10年8月29日(木曜日)
- ↑ 官報第3401号 明治27年10月27日(土曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月4日(火曜日)
- ↑ 官報第700号 大正3年12月1日(火曜日)
- ↑ 官報第3378号 大正12年11月26日(月曜日)
- ↑ 官報第1500号 昭和6年12月29日(火曜日)
- ↑ 官報第2129号 昭和9年2月8日(木曜日)
- ↑ 官報第2696号 昭和10年12月27日(金曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)