藤井包總
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- ふじい かねすけ
- 藤井包總
- 陸軍中将正三位勲一等功四級男爵
- 工兵
- 京都府華族
- 嘉永3年1月14日 - 大正14年12月5日
経歴
嘉永3年1月14日 | 生 |
明治4年9月15日 | 任陸軍少尉 |
明治18年6月22日 | 陸軍士官学校学科提理 |
明治22年6月3日 | 陸地測量部長心得 |
明治22年9月20日 | 陸軍工兵大佐 補陸地測量部長[1] |
明治27年8月1日 | 陸軍大学校長事務取扱 |
明治29年10月14日 | 陸軍少将 |
明治37年6月20日 | 留守参謀本部事務取扱 |
明治38年2月6日 | 陸軍中将 |
明治39年7月6日 | 予備役 |
大正2年4月1日 | 後備役 |
大正6年4月1日 | 退役[2] |
大正14年12月5日 | 薨去 |
栄典
明治17年11月13日 | 勲四等旭日小綬章 |
明治18年9月16日 | 叙正六位 |
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章[3] |
明治24年12月28日 | 叙従五位 |
明治25年11月29日 | 勲三等瑞宝章 |
明治28年10月31日 | 功四級金鵄勲章 授旭日中綬章 |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治29年11月20日 | 叙正五位 |
明治34年12月26日 | 叙従四位 |
明治34年12月27日 | 勲二等瑞宝章 |
明治39年4月1日 | 勲一等旭日大綬章 明治三十七八年従軍記章[4] |
明治39年10月1日 | 叙正四位 |
明治40年4月8日 | 大清帝国頭等第三双龍宝星佩用允許 |
明治40年9月21日 | 男爵 |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[5] |
大正5年4月1日 | 賜金1500円(大正三四年事件の功)[6] |
大正5年9月30日 | 叙従三位 |
大正14年12月5日 | 叙正三位 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第1872号 明治22年9月24日(火曜日)
- 官報第201号 大正2年4月4日(金曜日)
- 官報第1401号 大正6年4月6日(金曜日)
- 藤井包總 - Wikipedia
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に明治28年6月24日とあるのは誤りか
- ↑ 官報第1401号 大正6年4月6日(金曜日)
- ↑ 官報第1933号 明治22年12月6日(金曜日)
- ↑ 官報号外 明治40年1月28日(月曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 官報第1218号 大正5年8月21日(月曜日)