土橋勇逸
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- つちはし ゆういつ
- 土橋勇逸
- 陸軍中将功三級
- 歩兵
- 士候24 陸大32
- 佐賀県
- 明治24年1月1日 - 昭和47年5月31日
経歴
明治24年1月1日 | 生 |
明治45年5月28日 | 陸軍士官学校卒業(士候24) |
大正1年12月24日 | 任陸軍歩兵少尉 |
大正6年12月10日 | 陸軍大学校入学 |
大正9年11月22日 | 陸軍大学校卒業(第32期) |
昭和9年8月1日 | 陸軍省軍務局軍事課高級課員 |
昭和10年8月1日 | 陸軍歩兵大佐・歩兵第20聯隊長 |
昭和12年8月2日 | フランス大使館附武官 |
昭和13年7月15日 | 陸軍少将 |
昭和14年5月20日 | 参謀本部附 |
昭和14年8月1日 | 第21軍参謀長 |
昭和14年12月1日 | 参謀本部第2部長 |
昭和15年12月7日 | 支那派遣軍総参謀副長 |
昭和15年12月24日 | 兼支那大使館附武官 |
昭和16年8月25日 | 陸軍中将 |
昭和16年9月15日 | 第48師団長(親補) |
昭和19年11月22日 | 補印度支那駐屯軍司令官(親補) |
昭和19年12月20日 | 補第38軍司令官(親補) |
昭和21年4月 | 戦犯容疑で広東で抑留 |
昭和23年1月 | サイゴンで抑留 |
昭和24年6月 | 不起訴となり復員 |
昭和47年5月31日 | 死去 |
栄典
大正2年2月20日 | 叙正八位[1] |
大正5年3月20日 | 叙従七位[2] |
昭和10年9月16日 | 叙従五位[3] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[4] |
昭和16年7月8日 | 勲二等瑞宝章[5] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第243号 昭和19年11月24日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120925900
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第269号 昭和19年12月21日 陸軍異動通報 (防衛省防衛研究所)」Ref.C12120928600