谷干城
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- たに たてき
- 谷 干城
- 陸軍中将正二位勲一等子爵
- 草創期
- 高知県
- 天保8年2月12日 - 明治44年5月13日
経歴
天保8年2月12日 | 生 |
明治4年7月28日 | 任陸軍大佐 |
明治4年8月15日 | 兵部少丞 |
明治5年4月9日 | 陸軍裁判長 |
明治5年9月2日 | 任陸軍少将・近衛局分課 |
明治6年4月5日 | 熊本鎮台司令長官 |
明治7年4月5日 | 台湾蕃地事務参謀 |
明治8年6月28日 | 凱旋 |
明治9年11月9日 | 熊本鎮台司令長官 |
明治11年11月20日 | 任陸軍中将[1] |
明治11年12月14日 | 東部監軍部長 |
明治13年4月29日 | 陸軍士官学校長兼陸軍戸山学校長 |
明治13年8月9日 | 兼中部監軍部長(~明治14年2月9日) |
明治14年10月27日 | 辞任 |
明治17年5月24日 | 補宮内省出仕 学習院長被仰付候事 二等官ヲ以テ年俸四千五百円下賜候事[2] |
明治18年9月14日 | 華族女学校長兼勤被仰付候事[3] |
明治18年9月 | 東京学士会院議員(勅選議員)[4] |
明治18年11月30日 | 御用有之欧洲ヘ被差遣候事[5] |
明治18年12月22日 | 任農商務大臣[6] |
明治20年7月26日 | 依願免農商務大臣[7] |
明治21年7月13日 | 学習院御用掛被仰付[8] |
明治21年11月5日 | 依願御用掛被免[9] |
明治22年8月26日 | 予備役[1] |
明治23年7月10日 | 貴族院議員(子爵議員) |
明治25年10月1日 | 鉄道会議議員被仰付[10] |
明治26年10月21日 | 貨幣制度調査会会長被仰付[11] |
明治31年8月9日 | 高等教育会議議員被仰付[12] |
明治35年4月1日 | 後備役編入[13][1] |
明治38年10月16日 | 退役編入[14] |
明治39年5月23日 | 依願免東京学士会院議員[15] |
明治44年5月13日 | 薨去 |
栄典
明治17年7月7日 | 依勲功特授子爵 特旨ヲ以テ華族ニ列セラレ候事[16] |
明治19年3月11日 | 勲一等旭日大綬章[17] |
明治19年7月8日 | 叙正四位[18] |
明治19年10月19日 | 叙従二位[19] |
明治19年10月29日 | ロシア帝国聖アンナ第一等勲章[20] |
明治22年11月25日 | 大日本帝国憲法発布記念章[21] |
明治23年3月27日 | トルコ国メジディエ第一等勲章[22] |
明治29年3月29日 | 銀盃一組ヲ賜フ (第七回帝国議会召集ノ際励精ニ付)[23] |
明治39年1月26日 | 七十歳ノ高齢ニ付キ御紋付御杯並ニ酒肴料下賜[24] |
明治39年4月1日 | 賜金二千円 (明治三十七八年事件ノ功)[25] |
明治44年2月9日 | 授旭日桐花大綬章[26] |
明治44年4月15日 | 叙正二位(特旨)[27] |
明治44年5月30日 | 家督相続人谷儀一に襲爵被仰付[28] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 陸軍予備役後備役将校同相当官服役停年名簿. 明治35年7月1日調査
- ↑ 2.0 2.1 官報第270号 明治17年5月26日(月曜日)
- ↑ 3.0 3.1 官報第664号 明治18年9月15日(火曜日)
- ↑ 4.0 4.1 官報第669号 明治18年9月21日(月曜日)
- ↑ 5.0 5.1 官報第726号 明治18年12月1日(火曜日)
- ↑ 6.0 6.1 官報号外 明治18年12月22日(火曜日)
- ↑ 7.0 7.1 官報号外 明治20年7月26日(火曜日)
- ↑ 8.0 8.1 官報第1512号 明治21年7月14日(土曜日)
- ↑ 9.0 9.1 官報第1607号 明治21年11月6日(火曜日)
- ↑ 10.0 10.1 官報第2781号 明治25年10月3日(月曜日)
- ↑ 11.0 11.1 官報第3098号 明治26年10月25日(水曜日)
- ↑ 12.0 12.1 官報第4534号 明治31年8月10日(水曜日)
- ↑ 13.0 13.1 官報第5647号 明治35年5月5日(月曜日)
- ↑ 14.0 14.1 官報第6916号 明治39年7月19日(木曜日)
- ↑ 15.0 15.1 官報第6869号 明治39年5月25日(金曜日)
- ↑ 16.0 16.1 官報第307号 明治17年7月8日(火曜日)
- ↑ 17.0 17.1 官報第805号 明治19年2月12日(金曜日)
- ↑ 18.0 18.1 官報第907号 明治19年7月10日(土曜日)
- ↑ 19.0 19.1 官報第993号 明治19年10月20日(水曜日)
- ↑ 20.0 20.1 官報第1004号 明治19年11月2日(火曜日)
- ↑ 21.0 21.1 官報第1928号 明治22年11月30日(土曜日)
- ↑ 22.0 22.1 官報第2023号 明治23年4月1日(火曜日)
- ↑ 23.0 23.1 官報号外 明治29年4月24日(金曜日)
- ↑ 24.0 24.1 官報第6771号 明治39年1月27日(土曜日)
- ↑ 25.0 25.1 官報第7272号 明治40年9月23日(月曜日)
- ↑ 26.0 26.1 官報第8289号 明治44年2月10日(金曜日)
- ↑ 27.0 27.1 官報第8342号 明治44年4月17日(月曜日)
- ↑ 28.0 28.1 官報第8381号 明治44年6月1日(木曜日)