谷田繁太郎
ナビゲーションに移動
検索に移動
- たにだ しげたろう
- 谷田繁太郎
- 陸軍中将正四位勲二等
- 工兵
- 士候4優等
- 大阪府
- 明治5年6月12日 - 昭和13年7月5日
経歴
明治5年6月12日 | 生 |
明治26年7月25日 | 陸軍士官学校卒業(士候4優等) |
明治27年3月7日 | 任陸軍工兵少尉 |
明治45年2月14日 | 任陸軍工兵大佐 陸軍技術審査部附 兼陸軍技術審査部議員陸軍砲工学校教官被仰付 |
大正2年3月31日 | 陸軍技術審査部附兼陸軍技術審査部議員陸軍砲工学校教官被免 補築城部本部部員兼陸軍技術審査部議員 |
兼陸軍大学校兵学教官 | |
大正4年8月10日 | 補陸軍省軍務局工兵課長兼陸軍技術審査部議員 陸軍無線電信調査委員ヲ命ス |
大正6年8月6日 | 任陸軍少将 補広島湾要塞司令官 |
大正7年1月18日 | 補陸軍運輸部本部長 |
大正8年4月15日 | 陸軍技術本部第2部長 |
大正10年6月15日 | 補工兵監 陸軍無線電信調査委員長被仰付 |
大正10年7月20日 | 陸軍中将 |
大正11年8月15日 | 補築城部本部長 |
大正14年5月1日 | 待命被仰付 |
大正14年5月25日 | 予備役 |
帝国飛行協会総務理事 | |
満洲国協和会奉天市本部長 | |
昭和10年4月1日 | 後備役 |
昭和13年7月5日 | 死去 |
栄典
明治27年5月11日 | 叙正八位 |
明治28年11月15日 | 叙従七位 |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治30年12月15日 | 叙正七位 |
明治35年11月29日 | 勲五等瑞宝章 |
明治39年4月1日 | 勲四等旭日小綬章 賜金700円 明治三十七八年従軍記章[1] |
明治41年5月11日 | 叙正六位 |
明治41年12月11日 | 大清帝国二等第三双龍宝星佩用允許 |
明治42年5月25日 | ロシア帝国聖スタニスラス第三等勲章佩用允許 |
明治45年4月10日 | 叙従五位 |
大正2年5月31日 | 勲三等瑞宝章 |
大正6年4月30日 | 叙正五位 |
大正9年7月28日 | 中華民国二等嘉禾章佩用允許 |
大正9年11月1日 | 勲二等旭日重光章 賜金2800円 大正三年乃至九年戦役従軍記章 戦捷記章[2] |
大正10年8月10日 | 叙従四位[3] |
大正14年6月24日 | 叙正四位(特旨) |
昭和9年4月29日 | 昭和六年乃至九年事変従軍記章[4] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍予備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和9年4月1日調
- 官報第3258号 明治27年5月12日(土曜日)
- 官報第3717号 明治28年11月16日(土曜日)
- 官報第3957号 明治29年9月4日(金曜日)
- 官報第4341号 明治30年12月18日(土曜日)
- 官報第5824号 明治35年12月1日(月曜日)
- 官報第7460号 明治41年5月12日(火曜日)
- 官報第7643号 明治41年12月16日(水曜日)
- 官報第7775号 明治42年5月28日(金曜日)
- 官報第8594号 明治45年2月15日(木曜日)
- 官報第8640号 明治45年4月11日(木曜日)
- 官報第199号 大正2年4月1日(火曜日)
- 官報第251号 大正2年6月2日(月曜日)
- 官報第609号 大正3年8月11日(火曜日)
- 官報第908号 大正4年8月11日(水曜日)
- 官報第1422号 大正6年5月1日(火曜日)
- 官報第1505号 大正6年8月7日(火曜日)
- 官報第1637号 大正7年1月19日(土曜日)
- 官報第2400号 大正9年8月2日(月曜日)
- 官報第2612号 大正10年4月19日(火曜日)
- 官報第2662号 大正10年6月16日(木曜日)
- 官報第3013号 大正11年8月16日(水曜日)
- 官報第3806号 大正14年5月2日(土曜日)
- 官報第3888号 大正14年8月8日(土曜日)
- 官報第2507号 昭和10年5月15日(水曜日)
- 谷田繁太郎とは - コトバンク