遠藤愼司

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  • えんどう しんじ
  • 遠藤愼司
  • 陸軍主計監正四位勲二等功三級
  • 経理部
  • 和歌山県
  • 嘉永6年3月30日 - 昭和7年4月7日

経歴

嘉永6年3月30日
明治12年7月7日 陸軍会計軍吏補[1]
明治16年5月4日 陸軍会計三等軍吏[1]
明治16年8月25日 陸軍会計二等軍吏[1]
明治17年2月13日 大山陸軍卿渡欧随行
明治18年2月3日 陸軍省会計局課僚[2]
明治18年8月6日 陸軍大学校御用掛兼勤[2]
明治19年3月4日 陸軍省会計局副課員[2]
明治19年3月9日 陸軍二等軍吏[1]
明治19年8月25日 陸軍軍吏学舎教官[2]
明治20年4月27日 陸軍一等軍吏[1]
明治20年4月28日 陸軍軍吏学舎教官[2]
明治21年3月15日 陸軍監督補[2]
明治23年11月4日 陸軍経理学校教官[2]
明治24年7月17日 陸軍省会計局御用掛ヲ命ス[2]
明治26年4月4日 陸軍経理学校三等監督教官心得[2]
明治26年11月14日 陸軍三等監督[1]陸軍経理学校教官[2]
明治26年11月21日 陸軍大学校教官[2]
明治27年6月6日 野戦監督長官部部員被仰付[2]
明治28年5月16日 陸軍二等監督[1]
明治28年7月1日 中央会計部長心得ヲ命ス(台湾総督府[2]
明治28年8月8日 台湾兵站監督部長[2]
明治29年4月24日 陸軍経理学校
明治31年12月2日 第2師団監督部
明治32年12月25日 陸軍一等監督[1]
明治34年2月1日 陸軍経理学校
明治36年5月1日 陸軍省経理局主計課長
明治36年12月1日 陸軍一等主計正(改称)
明治37年9月7日 遼東守備軍経理部長被仰付[2]
明治37年9月12日 陸軍主計少将[3]
明治38年1月14日 韓国駐箚軍経理部長被仰付[2]
明治39年8月15日 韓国駐箚軍経理部長[2]
明治42年8月12日 休職[2][4]
明治43年6月29日 予備役
大正3年4月1日 後備役[2]
大正4年6月17日 和歌山市[2]
大正7年4月1日 退役[2]
大正8年6月16日 和歌山市長(再任)[2]
大正12年6月 和歌山市長退任[2]
昭和7年4月7日 卒去

栄典

明治13年3月6日 正八位[2]
明治16年9月29日 従七位[2]
明治22年7月15日 正七位[2]
明治22年11月29日 大日本帝国憲法発布記念章[5]
明治26年12月16日 従六位[2]
勲六等瑞宝章
明治28年10月31日 功四級金鵄勲章
単光旭日章
明治29年3月24日 正六位
明治29年11月25日 勲五等瑞宝章
明治33年2月10日 従五位
勲四等瑞宝章
明治37年10月24日 正五位
明治38年5月30日 勲三等瑞宝章
明治39年4月1日 功三級金鵄勲章(年金700円)
勲二等旭日重光章
明治三十七八年従軍記章[6]
明治42年4月18日 皇太子渡韓記念章[7]
明治43年8月10日 従四位(特旨)[8]
明治45年時点 オーストリア三等フランツ・ヨーゼフ勲章
プロイセン王国四等王冠勲章
大韓帝国勲二等太極章‏‎
大韓帝国勲一等八卦章[9]
昭和7年4月7日 正四位(特旨)[10]

出典

  • 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)