酒井隆
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- さかい たかし
- 酒井 隆
- 陸軍中将勲一等功三級
- 歩兵
- 士候20 陸大28
- 広島県
- 明治20年10月18日 - 昭和21年9月30日法務死
経歴
- 旧姓「二宮」
明治20年10月18日 | 生 |
明治39年12月1日 | 陸軍士官学校入校 |
明治41年5月27日 | 陸軍士官学校卒業(士候20) |
明治41年12月25日 | 任陸軍歩兵少尉 補歩兵第38聯隊附 |
明治44年12月26日 | 任陸軍歩兵中尉 |
大正2年12月13日 | 陸軍大学校入学 |
大正5年11月25日 | 陸軍大学校卒業(第28期) |
昭和7年8月8日 | 陸軍歩兵大佐・参謀本部支那課長 |
昭和9年8月1日 | 支那駐屯軍参謀長 |
昭和10年12月2日 | 参謀本部附 |
昭和11年3月7日 | 歩兵第23聯隊長 |
昭和12年3月1日 | 任陸軍少将・歩兵第28旅団長 |
昭和13年6月10日 | 張家口特務機関長 |
昭和14年3月10日 | 蒙疆連絡部長官 |
昭和14年8月1日 | 陸軍中将 |
昭和15年3月9日 | 駐蒙軍司令部附 |
昭和15年6月3日 | 留守近衛師団長 |
昭和16年11月6日 | 第23軍司令官 |
昭和18年3月1日 | 参謀本部附 |
昭和18年4月14日 | 待命被仰付 |
昭和18年4月15日 | 予備役被仰付 |
昭和21年8月27日 | 戦犯容疑で死刑判決 |
昭和21年9月30日 | 南京で法務死 |
栄典
明治45年3月1日 | 叙従七位 |
大正11年8月29日 | 中華民国四等嘉禾章佩用允許 |
昭和7年6月15日 | 叙従五位 |
昭和15年4月29日 | 勲一等旭日大綬章 |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[1] |
昭和17年1月14日 | 勲一等瑞宝章[2] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第70号 昭和18年4月15日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120887300
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第71号 昭和18年4月15日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120887400
- 官報第8608号 明治45年3月2日(土曜日)
- 官報第3027号 大正11年9月2日(土曜日)
- 官報第1647号 昭和7年6月28日(火曜日)
- 官報第3046号 昭和12年3月2日(火曜日)