香月清司
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- かづき きよし
- 香月清司
- 陸軍中将正三位勲一等功二級
- 歩兵
- 士候14 陸大24
- 佐賀県
- 明治14年10月6日 - 昭和25年1月29日
経歴
明治14年10月6日 | 生 |
明治35年11月22日 | 陸軍士官学校卒業(士候14) |
明治36年6月26日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治42年12月25日 | 陸軍大学校入学 |
大正1年11月25日 | 陸軍大学校卒業(第24期) |
大正10年3月26日 | 陸軍歩兵学校教官 |
大正10年7月20日 | 陸軍大学校兵学教官 |
大正12年8月6日 | 陸軍歩兵大佐 |
大正13年4月10日 | 歩兵第60聯隊長 |
大正14年5月1日 | 歩兵第8聯隊長 |
大正15年3月2日 | 陸軍大学校兵学教官 |
昭和2年7月26日 | 陸軍省軍務局兵務課長 |
昭和4年1月28日 | 陸軍少将・歩兵第30旅団長 |
昭和5年8月1日 | 陸軍大学校兵学教官 |
昭和5年12月22日 | 補陸軍大学校幹事兼同校兵学教官[1][2] |
昭和7年3月7日 | 補陸軍歩兵学校教育部長[2][3] |
昭和8年3月18日 | 陸軍中将・陸軍歩兵学校長 |
昭和10年3月15日 | 第12師団長 |
昭和11年3月23日 | 近衛師団長 |
昭和12年3月1日 | 教育総監部本部長 |
昭和12年7月11日 | 支那駐屯軍司令官 |
昭和12年8月26日 | 第1軍司令官 |
昭和13年5月30日 | 参謀本部附 |
昭和13年7月29日 | 依願予備役被仰付[4] |
昭和25年1月29日 | 薨去 |
栄典
明治36年10月20日 | 叙正八位 |
明治38年3月10日 | 叙従七位 |
明治39年4月1日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲六等単光旭日章 明治三十七八年従軍記章[5] |
明治43年2月21日 | 叙正七位 |
大正4年3月20日 | 叙従六位 |
大正9年4月10日 | 叙正六位 |
大正9年9月7日 | 賜金1850円 (対独平和条約締結並ニ大正四年乃至九年戦役ノ功)[6] 大正三年乃至九年戦役従軍記章[7] |
大正12年11月30日 | 叙従五位 |
昭和3年12月28日 | 叙正五位 |
昭和5年11月6日 | 勲二等瑞宝章[8] |
昭和7年時点 | 勲四等旭日小綬章[9][10] |
昭和13年2月4日 | 勲一等瑞宝章 |
昭和13年5月2日 | 叙従三位 |
昭和13年8月24日 | 叙正三位(特旨)[11][10] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[12] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第6513号 明治38年3月20日(月曜日)
- 官報第7998号 明治43年2月23日(水曜日)
- 官報第789号 大正4年3月23日(火曜日)
- 官報第2305号 大正9年4月12日(月曜日)
- 官報第3385号 大正12年12月4日(火曜日)
- 官報第624号 昭和4年1月30日(水曜日)
- 官報第3328号 昭和13年2月8日(火曜日)
- 官報第3412号 昭和13年5月21日(土曜日)
- ↑ 官報第1197号 昭和5年12月23日(火曜日)
- ↑ 2.0 2.1 官報第1555号 昭和7年3月9日(水曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に「7・4・11 歩校幹事兼教育部長」となっているが誤り。
- ↑ 官報第3472号 昭和13年7月30日(土曜日)
- ↑ 官報第7036号 明治39年12月11日(火曜日)
- ↑ 官報第2431号 大正9年9月8日(水曜日)
- ↑ 官報第2648号 大正10年5月31日(火曜日)
- ↑ 官報第1158号 昭和5年11月7日(金曜日)
- ↑ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和7年9月1日調
- ↑ 10.0 10.1 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』には功二級となっているが昭和13年の時点でも功五級
- ↑ 官報第3495号 昭和13年8月26日(金曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)