黒瀬義門
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- くろせ よしかど
- 黒瀬義門
- 陸軍中将従三位勲一等功四級男爵
- 砲兵
- 岡山県
- 弘化3年1月29日 - 大正8年9月1日
経歴
弘化3年1月29日 | 生 |
明治4年12月29日 | 任陸軍少尉 |
明治5年10月28日 | 任陸軍中尉 |
明治7年5月29日 | 任陸軍大尉 |
明治13年5月17日 | 任陸軍砲兵少佐 |
明治18年6月22日 | 野砲兵第6聯隊長 |
明治18年6月19日 | 任陸軍砲兵中佐 |
明治21年5月30日 | 陸軍砲兵射的学校長 |
明治21年11月16日 | 任陸軍砲兵大佐 |
明治26年4月21日 | 陸軍砲工学校長 |
明治27年9月25日 | 第2軍砲兵部長 |
明治28年4月13日 | 任陸軍少将 |
明治28年7月9日 | 陸軍砲工学校長事務取扱兼勤被仰付 |
明治28年7月22日 | 野戦砲兵監 |
明治28年8月10日 | 陸軍砲工学校長事務取扱兼勤被免 |
明治29年10月19日 | 要塞砲兵監 |
明治34年5月22日 | 任陸軍中将 |
明治35年5月5日 | 休職 |
明治37年2月11日 | 台湾守備隊司令官 |
明治37年11月2日 | 休職 |
明治38年6月5日 | 留守第7師団長 |
明治39年5月10日 | 休職 |
明治40年3月2日 | 予備役 |
明治41年4月1日 | 後備役 |
大正8年9月2日 | 薨去[1] |
栄典
明治18年9月16日 | 叙正六位 |
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章[2] |
明治23年12月28日 | 叙従五位 |
明治26年5月26日 | 勲三等瑞宝章 |
明治28年8月20日 | 功四級金鵄勲章 授旭日中綬章 |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治29年2月29日 | 叙正五位 |
明治33年5月31日 | 勲二等瑞宝章 |
明治34年4月20日 | 従四位 |
明治39年4月1日 | 勲一等旭日大綬章 明治三十七八年従軍記章[3] |
明治40年5月31日 | 叙正四位(特旨) |
明治40年9月21日 | 男爵 |
大正4年4月20日 | 御紋付銀杯 |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[4] |
大正5年4月1日 | 賜金1500円(大正三四年事件の功)[5] |
大正5年9月30日 | 叙従三位 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍予備役後備役将校同相当官服役停年名簿. 明治45年7月1日調
- 官報第3640号 明治28年8月16日(金曜日)
- 官報第2126号 大正8年9月4日(木曜日)
- 黒瀬義門 - Wikipedia
- ↑ この時「退役陸軍中将従三位勲一等功四級男爵」
- ↑ 官報第1933号 明治22年12月6日(金曜日)
- ↑ 官報号外 明治40年1月28日(月曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 官報第1218号 大正5年8月21日(月曜日)