今村均
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- いまむら ひとし
- 今村 均
- 陸軍大将従三位勲一等功二級
- 歩兵
- 士候19 陸大27
- 宮城県
- 明治19年6月28日 - 昭和43年10月4日
経歴
明治19年6月28日 | 生 |
明治40年5月31日 | 陸軍士官学校卒業(士候19) |
明治40年12月26日 | 任陸軍歩兵少尉 |
大正1年12月13日 | 陸軍大学校入学 |
大正4年12月11日 | 陸軍大学校卒業(第27期) |
昭和2年4月9日 | 印度駐箚武官 |
昭和2年11月15日 | 陸軍省軍務局課員 |
昭和5年8月1日 | 陸軍歩兵大佐・陸軍省軍務局徴募課長 |
昭和6年8月1日 | 参謀本部作戦課長 |
昭和7年2月10日 | 参謀本部附被仰付(上海派遣) |
昭和7年4月11日 | 歩兵第57聯隊長 |
昭和8年8月1日 | 陸軍習志野学校幹事 |
昭和10年3月15日 | 陸軍少将・歩兵第40旅団長 |
昭和11年3月23日 | 関東軍参謀副長兼満洲国大使館附武官 |
昭和12年8月2日 | 陸軍歩兵学校幹事 |
昭和13年1月27日 | 陸軍省兵務局長 |
昭和13年3月1日 | 陸軍中将 |
昭和13年11月21日 | 第5師団長 |
昭和15年3月9日 | 教育総監部本部長 |
昭和16年6月28日 | 第23軍司令官 |
昭和16年11月6日 | 第16軍司令官 |
昭和17年11月9日 | 第8方面軍司令官 |
昭和18年5月1日 | 陸軍大将 |
昭和29年11月 | 戦犯釈放 |
昭和43年10月4日 | 死去(墓は仙台市・輪王寺) |
栄典
大正9年11月1日 | 勲五等双光旭日章 賜金1100円 大正三年乃至九年戦役従軍記章 |
大正10年6月30日 | 叙従六位[1] |
大正15年8月2日 | 叙正六位 |
昭和13年4月15日 | 叙従四位 |
昭和15年1月15日 | 勲一等瑞宝章[2] |
昭和15年4月29日 | 勲一等旭日大綬章 |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[3] |
昭和16年7月15日 | 叙正四位 |
昭和18年8月2日 | 叙従三位 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第2610号 大正10年4月16日(土曜日)
- 官報第1533号 昭和7年2月12日(金曜日)
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、陸軍大将今村均外九名叙位の件/海軍少将久保九次外四名(国立公文書館)」Ref.A12090393600