吉岡顯作
ナビゲーションに移動
検索に移動
- よしおか けんさく
- 吉岡顯作
- 陸軍中将正四位勲二等功四級
- 歩兵
- 士候7 陸大16
- 大分県国東郡下山口村
- 明治7年2月 - 昭和3年6月26日
経歴
明治7年2月 | 生[1] |
上等小学校 | |
中武蔵村吉弘学校助教 | |
陸軍教導団卒[2] | |
明治29年5月27日 | 陸軍士官学校卒業(士候7) |
明治30年1月25日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治32年12月13日 | 陸軍大学校入学 |
明治35年11月28日 | 陸軍大学校卒業(第16期) |
大正5年5月2日 | 陸軍歩兵大佐 |
大正5年8月18日 | 陸軍大学校幹事 |
大正6年4月5日 | 歩兵第61聯隊長 |
大正7年7月24日 | 教育総監部第1課長 |
大正7年8月20日 | 兼陸軍技術審査部議員[3](~大正8年4月15日廃止) |
大正8年6月28日 | 陸軍歩兵学校教育部長 |
大正9年8月10日 | 陸軍少将 |
大正10年4月20日 | 補歩兵第10旅団長[4] |
大正12年8月6日 | 支那駐屯軍司令官 |
大正14年5月1日 | 陸軍中将・参謀本部附 |
大正15年3月2日 | 待命 |
大正15年3月22日 | 予備役 |
昭和3年6月26日 | 死去[5] |
栄典
明治39年4月1日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 勲五等双光旭日章 明治三十七八年従軍記章[6] |
明治42年3月1日 | 叙従六位[7] |
明治43年10月8日 | オーストリア=ハンガリー帝国二等フランツ・ヨーゼフ勲章佩用允許 トルコ国メジディエ第三等勲章佩用允許 ルーマニア王国三等王冠勲章佩用允許 セルビア王国三等聖サヴァ勲章佩用允許 ブルガリア王国三等武功勲章佩用允許 オーストリア=ハンガリー帝国皇帝陛下即位60年祝典紀念章佩用允許[8] |
大正1年8月1日 | 韓国併合記念章[9] |
大正2年3月10日 | 叙正六位[10] |
大正2年10月22日 | オーストリア=ハンガリー帝国鉄冠第二等勲章佩用允許[11] |
大正2年11月28日 | 勲四等瑞宝章[12] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[13] |
大正5年6月10日 | 叙従五位[14] |
大正8年11月28日 | 勲三等瑞宝章[15] |
大正9年11月1日 | 旭日中綬章 賜金930円 大正三年乃至九年戦役従軍記章[16] |
大正11年11月1日 | 勲二等瑞宝章 賜金1070円(西比利亜地方派遣中ノ功)[17] |
大正14年6月1日 | 叙従四位[18] |
大正14年7月11日 | 中華民国一等文虎勲章佩用允許[19] |
大正15年4月21日 | 叙正四位(特旨)[20] |
昭和3年6月26日 | 卒去 旭日重光章[21] |
昭和3年6月29日 | 葬送ニ付勅使侍従海江田幸吉ヲ差遣ハサレ幣帛ヲ下賜セラル[21] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 吉岡顕作(よしおか けんさく)とは? 意味や使い方 - コトバンク
- ↑ 吉岡 顕作(ヨシオカ ケンサク)とは? 意味や使い方 - コトバンク
- ↑ 官報第1816号 大正7年8月21日(水曜日)
- ↑ 官報第2614号 大正10年4月21日(木曜日)
- ↑ 官報第467号 昭和3年7月18日(水曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月4日(火曜日)
- ↑ 官報第7701号 明治42年3月2日(火曜日)
- ↑ 官報第8195号 明治43年10月13日(木曜日)
- ↑ 官報第248号 大正2年5月29日(木曜日)
- ↑ 官報第182号 大正2年5月11日(火曜日)
- ↑ 官報第377号 大正2年10月30日(木曜日)
- ↑ 官報第402号 大正2年11月29日(土曜日)
- ↑ 官報第1334号 大正6年1月16日(火曜日)
- ↑ 官報第1158号 大正5年6月12日(月曜日)
- ↑ 官報第2197号 大正8年11月29日(土曜日)
- ↑ 官報第2612号 大正10年4月19日(火曜日)
- ↑ 官報第3347号 大正12年10月18日(木曜日)
- ↑ 官報第3895号 大正14年8月17日(月曜日)
- ↑ 官報第3868号 大正14年7月15日(水曜日)
- ↑ 官報第4116号 大正15年5月15日(土曜日)
- ↑ 21.0 21.1 官報第452号 昭和3年6月30日(土曜日)