寺内正毅

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  • てらうち まさたけ
  • 寺内正毅
  • 陸軍大将従一位大勲位功一級伯爵
  • 歩兵
  • 山口県
  • 嘉永5年2月5日 - 大正8年11月3日[1]

経歴

嘉永5年2月5日
明治4年8月14日 陸軍少尉
明治4年11月22日 陸軍中尉
明治5年2月27日 陸軍大尉
明治12年2月24日 陸軍少佐
明治16年5月7日 仏国公使館附
明治17年9月19日 陸軍歩兵中佐
明治18年7月17日 命帰朝
明治19年1月7日 陸軍省大臣官房副長
明治19年3月1日 陸軍大臣秘書官
明治19年4月19日 陸軍戸山学校次長
明治20年6月15日 陸軍士官学校長心得
明治20年11月16日 陸軍歩兵大佐陸軍士官学校
明治24年6月15日 第1師団参謀長
明治25年9月9日 参謀本部第1局
明治27年6月9日 大本営運輸通信部長官
明治27年8月27日 陸軍少将
明治28年6月18日 参謀本部第1局長事務取扱
明治29年3月31日 参謀本部附
明治29年5月20日 欧洲差遣
明治29年10月14日 歩兵第3旅団
明治30年6月13日 帰朝
明治31年1月22日 教育総監
明治31年2月18日 陸軍士官学校長事務取扱(~明治31年12月23日)
明治31年10月1日 陸軍中将
明治33年4月25日 参謀本部次長
明治33年11月25日 鉄道会議議長(~明治35年12月2日)
明治34年2月18日 陸軍大学校長事務取扱被仰付[2]
明治35年3月27日 陸軍大臣
明治37年3月17日 教育総監
明治38年5月9日 免兼
明治39年7月25日 南満洲鉄道設立委員長(~明治39年12月12日)
明治39年11月21日 陸軍大将
明治40年1月14日 鉄道会議議長(~大正2年2月13日)
明治41年10月8日 馬政長官
明治43年5月30日 兼任統監[3]
明治43年10月1日 朝鮮総督
明治44年8月30日 依願免本官(陸軍大臣)
専任朝鮮総督
明治44年9月6日 軍事参議官親補
大正5年6月24日 元帥[4]
大正5年10月9日 内閣総理大臣大蔵大臣[5]
臨時兼任外務大臣
大正5年11月21日 免兼外務大臣
大正5年12月16日 免兼大蔵大臣
大正7年9月29日 辞、前官礼遇
大正8年11月3日 薨去[1]

栄典

明治17年10月13日 勲四等旭日小綬章
明治22年11月29日 大日本帝国憲法発布記念章[6]
明治25年11月29日 勲三等瑞宝章
明治28年8月20日 功三級金鵄勲章
旭日中綬章
明治28年11月18日 明治二十七八年従軍記章
明治32年5月9日 勲二等瑞宝章
明治34年12月27日 勲一等旭日大綬章
明治35年5月10日 明治三十三年従軍記章[7]
明治39年4月1日 功一級金鵄勲章
旭日桐花大綬章
明治三十七八年従軍記章[8]
明治28年8月20日 男爵
明治39年7月3日 プロイセン王国金剛石装飾剣附赤鷲第一等勲章佩用允許
明治40年5月10日 正三位[9]
明治40年9月21日 子爵
明治44年4月21日 伯爵
大正1年8月1日 韓国併合記念章[10]
大正4年11月10日 大礼記念章[11]
大正5年4月1日 金杯一組
大正三四年従軍記章[12]
大正5年6月24日 元帥
大正8年11月3日 薨去[1][13]
大勲位菊花大綬章

出典

  1. 1.0 1.1 1.2 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に11月7日とあるのは誤り。
  2. 官報第5286号 明治34年2月19日(火曜日)
  3. この時「陸軍大臣兼馬政長官陸軍大将正三位勲一等功一級子爵」
  4. 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に元勲優遇とある。
  5. この時「朝鮮総督元帥陸軍大将従二位勲一等功一級伯爵」
  6. 官報第1933号 明治22年12月6日(金曜日)
  7. 官報第5820号 明治35年11月26日(水曜日)
  8. 官報号外 明治40年1月28日(月曜日)
  9. 官報第7157号 明治40年5月11日(土曜日)
  10. 官報第205号 大正2年4月9日(水曜日)
  11. 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
  12. 官報第1187号 大正5年7月15日(土曜日)
  13. この時「元帥陸軍大将従一位大勲位功一級伯爵」

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