寺内壽一
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- てらうち ひさいち
- 寺内壽一
- 元帥陸軍大将従二位勲一等功一級伯爵
- 歩兵
- 士候11 陸大21
- 山口県華族
- 明治12年8月8日 - 昭和21年6月12日
経歴
明治12年8月8日 | 生 |
明治32年11月21日 | 陸軍士官学校卒業(士候11) |
明治33年6月22日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治39年11月22日 | 陸軍大学校入学 |
明治42年12月3日 | 陸軍大学校卒業(第21期) |
明治44年10月18日 | 任陸軍歩兵少佐[1] |
大正3年時点 | 陸軍省軍務局,独国駐在[1] |
大正5年11月15日 | 任陸軍歩兵中佐[2] |
大正6年時点 | 歩兵第2聯隊附[2] |
大正7年時点 | 参謀本部部員[3] |
大正8年7月25日 | 陸軍歩兵大佐[4]・近衛歩兵第3聯隊長 |
大正11年1月10日 | 近衛師団参謀長 |
大正13年2月4日 | 陸軍少将・歩兵第19旅団長 |
大正15年3月2日 | 第1師団司令部附 |
昭和2年8月26日 | 朝鮮軍参謀長 |
昭和4年8月1日 | 陸軍中将・独立守備隊司令官 |
昭和5年8月1日 | 第5師団長 |
昭和7年1月9日 | 第4師団長 |
昭和9年8月1日 | 台湾軍司令官 |
昭和10年10月30日 | 陸軍大将 |
昭和10年12月2日 | 軍事参議官 |
昭和11年3月9日 | 陸軍大臣 |
昭和11年5月13日 | 兼議定官 |
昭和12年2月2日 | 軍事参議官 |
昭和12年2月9日 | 兼教育総監 |
昭和12年8月26日 | 北支那方面軍司令官 |
昭和13年12月9日 | 軍事参議官 |
昭和16年11月6日 | 南方軍総司令官 |
昭和18年6月21日 | 元帥 |
昭和21年6月12日 | 死去 |
栄典
明治39年4月1日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 勲五等双光旭日章 明治三十七八年従軍記章 |
大正3年時点 | 従五位 勲四等瑞宝章 ロシア帝国聖アンナ第三等勲章[1] |
大正4年12月28日 | 叙正五位 |
大正6年時点 | 勲四等旭日小綬章[2][3] |
大正8年12月 | 伯爵(襲爵) |
大正9年6月25日 | 勲三等瑞宝章 |
大正9年時点 | ロシア帝国聖アンナ第二等勲章[4] |
大正10年1月31日 | 叙従四位[5] |
大正15年2月15日 | 叙正四位[6] |
昭和4年9月4日 | 勲二等瑞宝章 |
昭和5年9月1日 | 叙従三位[7] |
昭和9年4月29日 | 勲一等瑞宝章 昭和六年乃至九年事変従軍記章[8] |
昭和10年10月1日 | 叙正三位[9] |
昭和12年12月1日 | 満洲国勲一位景雲章佩用允許[10] |
昭和13年1月25日 | ドイツ帝国鷲勲章大十字章佩用允許[11] |
昭和13年8月13日 | 旭日大綬章[12] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[13] |
昭和17年3月21日 | 功一級金鵄勲章 |
昭和18年6月21日 | 元帥 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報号外 明治39年12月4日(火曜日)
- 官報第2370号 大正9年6月26日(土曜日)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正3年7月1日調
- ↑ 2.0 2.1 2.2 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正6年9月1日調
- ↑ 3.0 3.1 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正7年9月1日調
- ↑ 4.0 4.1 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正9年9月1日調
- ↑ 官報第2548号 大正10年2月1日(火曜日)
- ↑ 官報第4082号 大正15年4月6日(火曜日)
- ↑ 官報第1167号 昭和5年11月18日(火曜日)
- ↑ 官報第2602号 昭和10年9月3日(火曜日)
- ↑ 官報第2628号 昭和10年10月4日(金曜日)
- ↑ 官報第3463号 昭和13年7月20日(水曜日)
- ↑ 官報第3319号 昭和13年1月28日(金曜日)
- ↑ 官報第3487号 昭和13年8月17日(水曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)