山脇正隆
ナビゲーションに移動
検索に移動
- やまわき まさたか
- 山脇正隆
- 陸軍大将従三位勲一等功三級
- 歩兵
- 士候18 陸大26首席
- 高知県
- 明治19年3月2日 - 昭和49年4月21日
経歴
明治19年3月2日 | 生 |
明治38年11月25日 | 陸軍士官学校卒業(士候18) |
明治39年6月26日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治44年12月12日 | 陸軍大学校入学 |
大正3年11月27日 | 陸軍大学校卒業(第26期首席) |
参謀本部附被仰付 | |
大正10年5月16日 | 補波蘭国在勤帝国公使館附武官(大尉) |
大正14年8月7日 | 任陸軍歩兵中佐 |
昭和2年7月26日 | 参謀本部編制動員課編制班長 |
昭和4年8月1日 | 任陸軍歩兵大佐・参謀本部編制動員課長 |
昭和6年8月1日 | 歩兵第22聯隊長 |
昭和7年8月1日 | 教育総監部第1課長 |
昭和9年3月5日 | ポーランド公使館附武官 |
昭和9年8月1日 | 陸軍少将 |
昭和10年12月2日 | 陸軍省整備局長 |
昭和12年11月1日 | 陸軍中将 |
昭和13年7月15日 | 教育総監部本部長 |
昭和13年12月10日 | 陸軍次官(~昭和14年10月14日[1]) |
昭和13年12月29日 | 陸軍省軍務局長事務取扱 |
昭和14年1月31日 | 陸軍省軍務局長事務取扱被免 |
昭和14年10月26日 | 第3師団長 |
昭和15年9月29日 | 駐蒙軍司令官 |
昭和16年1月20日 | 参謀本部附 |
昭和16年4月10日 | 陸軍大学校長 |
昭和16年9月10日 | 参謀本部附 |
昭和16年12月2日 | 予備役 |
昭和17年9月18日 | ボルネオ守備軍司令官 |
昭和19年9月22日 | 任陸軍大将(親任) 補第37軍司令官(親補) |
昭和19年12月26日 | 補参謀本部附 |
昭和20年5月1日 | 召集解除 |
昭和49年4月21日 | 死去 |
栄典
大正12年3月20日 | ポーランド共和国復興勲章コンマンドール佩用允許 ポーランド共和国飾板二箇附武勇十字章佩用允許 |
勲三等瑞宝章 | |
昭和9年4月29日 | 旭日中綬章 昭和六年乃至九年事変従軍記章[2] |
昭和9年9月15日 | 叙正五位[3] |
昭和15年4月29日 | 勲一等旭日大綬章 |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[4] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第197号 昭和19年9月25日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120921100
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第276号 昭和19年12月27日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120929300
- 官報第3192号 大正12年3月24日(土曜日)
- ↑ 阿南惟幾中将が昭和14年10月14日陸軍次官就任
- ↑ 官報第2327号 昭和9年10月2日(火曜日)
- ↑ 官報第2318号 昭和9年9月20日(木曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)