川島義之
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- かわしま よしゆき
- 川島義之
- 陸軍大将正三位勲一等功四級
- 歩兵
- 士候10 陸大20優等
- 愛媛県
- 明治11年5月25日 - 昭和20年9月8日
経歴
明治11年5月25日 | 生 |
明治31年11月25日 | 陸軍士官学校卒業(士候10) |
明治32年6月27日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治36年8月3日 | 陸軍大学校入学 |
明治37年2月9日 | 陸軍大学校中退 |
明治39年3月20日 | 陸軍大学校復校 |
明治41年11月30日 | 陸軍大学校卒業(第20期優等) |
大正6年1月27日 | 陸軍大学校教官 |
大正7年7月24日 | 陸軍歩兵大佐・歩兵第7聯隊長 |
大正8年7月25日 | 参謀本部外国戦史課長 |
大正9年8月10日 | 教育総監部第2課長 |
大正10年6月3日 | 教育総監部第1課長 |
大正12年8月6日 | 陸軍少将・陸軍兵器本廠附(作戦資材整備会議幹事長) |
大正14年5月1日 | 近衛歩兵第1旅団長 |
大正15年3月2日 | 陸軍省人事局長 |
昭和2年12月16日 | 陸軍中将 |
昭和4年8月1日 | 第19師団長 |
昭和5年11月7日 | 第3師団長 |
昭和7年1月9日 | 教育総監部本部長 |
昭和7年5月26日 | 朝鮮軍司令官 |
昭和9年3月5日 | 陸軍大将 |
昭和9年8月1日 | 軍事参議官 |
昭和10年9月5日 | 陸軍大臣 |
昭和11年3月9日 | 待命 |
昭和11年3月10日 | 予備役被仰付[1] |
昭和20年9月8日 | 薨去 |
栄典
明治39年4月1日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲五等双光旭日章 明治三十七八年従軍記章[2] |
大正9年6月25日 | 勲三等瑞宝章 |
功四級金鵄勲章 | |
大正12年11月20日 | 叙正五位[3] |
昭和2年12月28日 | 叙従四位 |
昭和5年1月16日 | 叙正四位[4] |
昭和7年10月1日 | 朝鮮昭和五年国勢調査記念章 |
昭和8年2月1日 | 叙従三位 |
昭和9年2月7日 | 勲一等瑞宝章[5] |
昭和10年9月16日 | 叙正三位[6] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[7] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第2370号 大正9年6月26日(土曜日)
- 官報第1900号 昭和8年5月5日(金曜日)