後宮淳
ナビゲーションに移動
検索に移動
- うしろく じゅん
- 後宮 淳
- 陸軍大将従三位勲一等功二級
- 歩兵
- 士候17 陸大29
- 京都府
- 明治17年9月28日 - 昭和48年11月24日
経歴
明治17年9月28日 | 生 |
明治38年3月30日 | 陸軍士官学校卒業(士候17) |
明治38年4月21日 | 任陸軍歩兵少尉 |
大正3年12月12日 | 陸軍大学校入学 |
大正6年11月27日 | 陸軍大学校卒業(第29期) |
大正14年12月2日 | 関東軍司令部附(満鉄嘱託) |
昭和4年8月1日 | 陸軍歩兵大佐・歩兵第48聯隊長 |
昭和6年8月1日 | 第4師団参謀長 |
昭和7年2月5日 | 関東軍司令部附(満洲国交通部顧問) |
昭和7年5月4日 | 兼関東軍特務部鉄道主任 |
昭和9年3月5日 | 陸軍少将 |
昭和9年8月1日 | 参謀本部第3部長 |
昭和10年8月13日 | 陸軍省人事局長 |
昭和12年3月1日 | 陸軍省軍務局長 |
昭和12年8月2日 | 陸軍中将 |
昭和12年10月5日 | 第26師団長(親補) |
昭和14年8月1日 | 第4軍司令官(親補)(~昭和15年9月28日[1]) |
昭和15年10月5日 | 南支那方面軍司令官(親補) |
昭和16年7月7日 | 支那派遣軍総参謀長 |
昭和17年8月17日 | 任陸軍大将 補中部軍司令官(親補) |
昭和19年2月21日 | 補軍事参議官(親補) 兼補参謀次長(高級参謀次長) |
昭和19年3月28日[2] | 兼補陸軍航空総監(親補)陸軍航空本部長 |
昭和19年7月18日 | 免兼職[3] |
昭和19年8月25日 | 補第3方面軍司令官(親補) |
昭和31年12月26日 | シベリアより帰国 |
昭和48年11月24日 | 死去 |
栄典
明治39年4月1日 | 勲六等瑞宝章 賜金200円 明治三十七八年従軍記章[4] |
勲四等瑞宝章 | |
大正9年11月1日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲四等旭日小綬章 大正三年乃至九年戦役従軍記章 |
昭和3年12月28日 | 叙従五位[5] |
昭和13年8月13日 | 勲一等瑞宝章[6] |
昭和14年9月13日 | 叙正四位 |
昭和15年4月29日 | 功二級金鵄勲章 勲一等旭日大綬章 |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[7] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第34号 昭和19年2月22日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120903100
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第57号 昭和19年3月28日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120905700
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第138号 昭和19年7月19日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120914600
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第176号 昭和19年8月26日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120918500
- 官報第2613号 大正10年4月20日(水曜日)
- 官報. 1942年08月18日
- ↑ 鷲津鈆平中将が昭和15年9月28日第4軍司令官就任。
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に3月22日とあるのは誤り。
- ↑ 参謀次長、陸軍航空総監、陸軍航空本部長を免ぜられる
- ↑ 官報第7035号 明治39年12月10日(月曜日)
- ↑ 官報第625号 昭和4年1月31日(木曜日)
- ↑ 官報第3487号 昭和13年8月17日(水曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)