末松茂治
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- すえまつ しげじ
- 末松茂治
- 陸軍中将従三位勲一等功三級
- 歩兵
- 士候14 陸大23
- 福岡県
- 明治15年5月15日 - 昭和35年8月6日
経歴
明治15年5月15日 | 生 |
明治35年11月22日 | 陸軍士官学校卒業(士候14) |
明治36年6月26日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治41年12月25日 | 陸軍大学校入学 |
明治44年11月29日 | 陸軍大学校卒業(第23期) |
大正13年8月20日 | 陸軍歩兵大佐・歩兵第1聯隊長 |
昭和2年7月26日 | 補教育総監部庶務課長[1][2] |
昭和5年3月6日 | 陸軍少将・歩兵第36旅団長 |
昭和6年8月1日 | 陸軍歩兵学校附 |
昭和7年4月11日 | 陸軍士官学校幹事 |
昭和9年3月5日 | 陸軍中将・陸軍士官学校長 |
昭和10年12月2日 | 第14師団長 |
昭和12年3月1日 | 待命 |
昭和12年3月29日 | 予備役 |
昭和12年10月20日 | 第114師団長 |
昭和14年3月9日 | 参謀本部附 |
昭和14年3月22日 | 召集解除 |
昭和17年5月27日 | 福岡県小倉市長(~昭和21年1月25日) |
昭和35年8月6日 | 死去 |
栄典
功五級金鵄勲章 | |
明治43年4月30日 | 叙正七位 |
大正2年5月31日 | 勲五等瑞宝章 |
大正4年5月31日 | 叙従六位 |
大正4年11月7日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 勲四等旭日小綬章 大正三四年従軍記章[3] |
大正7年9月16日 | 中華民国四等文虎勲章佩用允許 |
大正9年7月10日 | 叙正六位 |
大正11年11月30日 | 勲三等瑞宝章 |
大正13年11月15日 | 叙従五位 |
昭和9年3月15日 | 叙従四位 |
昭和9年4月5日 | 勲二等瑞宝章 |
昭和12年4月28日 | 叙従三位(特旨) |
昭和14年2月14日 | 勲一等瑞宝章 |
功三級金鵄勲章 | |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第8055号 明治43年5月2日(月曜日)
- 官報第251号 大正2年6月2日(月曜日)
- 官報第848号 大正4年6月1日(火曜日)
- 官報第1840号 大正7年9月19日(木曜日)
- 官報第2389号 大正9年7月19日(月曜日)
- 官報第3102号 大正11年12月2日(土曜日)
- 官報第3672号 大正13年11月18日(火曜日)
- 官報第2164号 昭和9年3月22日(木曜日)
- 官報第2176号 昭和9年4月6日(金曜日)
- 官報第3096号 昭和12年5月3日(月曜日)
- 官報第3634号 昭和14年2月17日(金曜日)
- 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)
- ↑ 官報第173号 昭和2年7月27日(水曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に大正14年5月1日歩兵第45聯隊長とあるのは誤り。
- ↑ 官報第1068号 大正5年2月25日(金曜日)