杉山元
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- すぎやま げん
- 杉山 元
- 元帥陸軍大将従二位勲一等功一級
- 歩兵
- 士候12 陸大22
- 福岡県
- 明治13年1月1日 - 昭和20年9月12日自決
経歴
明治13年1月1日 | 生 |
明治32年12月1日 | 陸軍士官学校入校 |
明治33年11月21日 | 陸軍士官学校卒業(士候12) |
明治33年11月26日 | 見習士官ヲ命ス |
明治34年6月25日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治40年12月10日 | 陸軍大学校入学 |
明治43年11月29日 | 陸軍大学校卒業(第22期) |
大正2年8月22日 | 任陸軍歩兵少佐[1] |
大正6年8月6日 | 任陸軍歩兵中佐[1] |
大正7年12月1日 | 航空第2大隊長 |
大正9年7月16日 | 参謀本部附 |
大正9年9月13日 | 国聯空軍代表随員[2] |
大正10年6月28日 | 任陸軍歩兵大佐[1] |
大正11年4月1日 | 陸軍省軍務局航空課長 |
大正12年8月6日 | 陸軍省軍務局軍事課長 |
大正14年5月1日 | 任陸軍少将[1]・陸軍航空本部補給部長 |
大正15年12月1日 | 陸軍航空本部附(国聯派遣) |
昭和2年2月15日 | 国聯空軍代表 |
昭和3年4月20日 | 陸軍兵器本廠附 |
昭和3年8月10日 | 陸軍省軍務局長 |
昭和5年6月16日 | 陸軍次官心得 |
昭和5年8月1日 | 陸軍中将・陸軍次官 |
昭和7年2月29日 | 第12師団長 |
昭和8年3月18日 | 陸軍航空本部長 |
昭和9年8月1日 | 参謀次長兼陸軍大学校長 |
昭和10年3月15日 | 免兼職[3] |
昭和11年3月23日 | 参謀本部附 |
昭和11年8月1日 | 教育総監兼軍事参議官 |
昭和11年11月2日 | 陸軍大将 |
昭和11年12月1日 | 兼任議定官 |
昭和12年2月9日 | 陸軍大臣 |
昭和13年6月3日 | 軍事参議官 |
昭和13年12月9日 | 北支那方面軍司令官 |
昭和14年8月31日 | 兼駐蒙軍司令官 |
昭和14年9月12日 | 軍事参議官 |
昭和15年10月3日 | 参謀総長 |
昭和18年6月21日 | 元帥 |
昭和19年2月21日 | 免本職 |
昭和19年7月18日 | 教育総監 |
昭和19年7月22日 | 任陸軍大臣[4] |
昭和20年4月6日 | 第1総軍司令官 |
昭和20年9月12日 | 自決 |
栄典
明治34年10月10日 | 叙正八位 |
明治37年2月19日 | 叙従七位 |
明治38年8月11日 | 叙正七位 |
明治43年9月30日 | 叙従六位 |
大正4年10月30日 | 叙正六位 |
大正9年11月30日 | 叙従五位 |
大正9年11月1日 | 勲三等旭日中綬章 賜金1400円 大正三年乃至九年戦役従軍記章 |
大正12年時点 | 勲四等瑞宝章 功五級金鵄勲章 大英帝国印度帝国勲章 フランス共和国レジオンドヌール勲章オフィシエ[5] |
大正14年時点 | 正五位[1] |
昭和4年7月29日 | ポーランド共和国復興勲章コマンドール[6] |
昭和7年6月15日 | 叙正四位[7] |
昭和9年4月29日 | 勲一等旭日大綬章 |
昭和11年9月15日 | 叙従三位[8] |
昭和12年12月1日 | 満洲国勲一位龍光大綬章 |
昭和14年10月2日 | 叙正三位 |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[9] |
昭和17年4月23日 | タイ王国特等王冠勲章 |
昭和18年6月21日 | 元帥 |
昭和18年7月15日 | 叙従二位 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第2610号 大正10年4月16日(土曜日)