東條英機
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- とうじょう ひでき
- 東條英機
- 陸軍大将従二位勲一等功二級
- 歩兵
- 士候17 陸大27
- 岩手県
- 明治17年12月30日 - 昭和23年12月23日法務死
経歴
明治17年12月30日 | 生 |
明治38年3月30日 | 陸軍士官学校卒業(士候17) |
明治38年4月21日 | 任陸軍歩兵少尉 |
大正1年12月13日 | 陸軍大学校入学 |
大正4年12月11日 | 陸軍大学校卒業(第27期) |
大正15年3月23日 | 陸軍省軍務局軍事課高級課員 |
昭和3年3月8日 | 陸軍省整備局動員課長 |
昭和3年8月10日 | 陸軍歩兵大佐 |
昭和4年8月1日 | 歩兵第1聯隊長 |
昭和6年8月1日 | 参謀本部編制動員課長 |
昭和8年3月18日 | 任陸軍少将 参謀本部附被仰付[1] |
昭和8年8月1日 | 補陸軍兵器本廠附(軍事調査委員長) |
昭和8年11月22日 | 軍事調査部長[2] |
昭和9年3月5日 | 補陸軍士官学校幹事兼同校教授部長 |
昭和9年8月1日 | 歩兵第24旅団長 |
昭和10年8月1日 | 第12師団司令部附 |
昭和10年9月21日 | 関東憲兵隊司令官被仰付 兼任関東局警務部長 |
昭和11年12月1日 | 陸軍中将 |
昭和12年3月1日 | 関東軍参謀長 |
昭和13年5月30日 | 任陸軍次官 叙高等官一等 |
昭和13年6月18日 | 兼陸軍航空本部長 |
昭和13年12月10日 | 陸軍航空総監兼陸軍航空本部長 |
昭和15年7月22日 | 任陸軍大臣兼対満事務局総裁 |
昭和16年10月18日 | 任内閣総理大臣兼内務大臣兼陸軍大臣 任陸軍大将 兼任対満事務局総裁 特ニ現役ニ列セシム |
昭和17年2月17日 | 免兼内務大臣 |
昭和17年9月1日 | 兼任外務大臣 |
昭和17年9月17日 | 免兼外務大臣 |
昭和18年4月20日 | 兼任文部大臣[3] |
昭和18年4月23日 | 免兼文部大臣 |
昭和18年10月8日 | 兼任商工大臣 |
昭和18年11月1日 | 兼任軍需大臣 |
昭和19年2月21日 | 補参謀総長(親補[4]) |
昭和19年7月18日 | 免本職[5] |
昭和19年7月22日 | 依願免本官並兼官 特ニ前官ノ礼遇ヲ賜フ[6] 予備役被仰付 |
昭和23年12月23日 | 法務死 |
栄典
昭和3年9月29日 | 勲三等瑞宝章[7] |
昭和15年4月29日 | 叙功二級金鵄勲章(支那事変の功) 授旭日大綬章 |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[8] |
昭和17年8月15日 | 叙正三位 |
昭和19年7月28日 | 叙従二位 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第34号 昭和19年2月22日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120903100
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第138号 昭和19年7月19日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120914600
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第141号 昭和19年7月24日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120914900
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、陸軍大将東条英機特旨叙位の件(国立公文書館)」Ref.A12090509900
- 官報第1976号 昭和8年8月2日(水曜日)
- 官報第2151号 昭和9年3月6日(火曜日)
- 官報. 1940年07月22日
- 官報. 1941年10月18日
- 官報第4530号 昭和17年2月17日(火曜日)
- 官報. 1943年11月01日
- ↑ 官報第1864号 昭和8年3月20日(月曜日)
- ↑ 補職は陸軍兵器本廠附のまま
- ↑ 官報号外 昭和18年4月20日(火曜日)
- ↑ 内閣総理大臣在職のまま
- ↑ 参謀総長を免ぜられる
- ↑ 官報号外 昭和19年7月22日(土曜日)
- ↑ 官報第531号 昭和3年10月1日(月曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)