林銑十郎

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  • はやし せんじゅうろう
  • 林 銑十郎
  • 陸軍大将正二位勲一等功四級
  • 歩兵
  • 士候8 陸大17
  • 石川県
  • 明治9年2月23日 - 昭和18年2月4日

経歴

明治9年2月23日
明治29年11月26日 陸軍士官学校卒業(士候8)
明治30年6月28日 陸軍歩兵少尉
明治33年12月15日 陸軍大学校入学
明治36年11月28日 陸軍大学校卒業(第17期)
大正3年1月20日 陸軍歩兵中佐[1]
歩兵第3聯隊附被仰付[2]
大正5年8月18日 歩兵第52聯隊[2][3]
大正5年11月15日 久留米俘虜収容所長被仰付[3]
大正6年8月6日 陸軍歩兵大佐
大正7年7月24日 歩兵第57聯隊
大正9年1月30日 陸軍技術本部附(臨時軍事調査委員
大正10年7月20日 陸軍少将陸軍士官学校予科
大正12年3月17日 教育総監部附(仏国出張
大正12年6月30日 国聯陸軍代表[4]
大正13年9月11日 命帰朝
教育総監部附被仰付[5][6]
大正14年5月1日 歩兵第2旅団[6]
大正15年3月2日 陸軍中将東京湾要塞司令官
昭和2年3月5日 陸軍大学校
昭和3年8月10日 教育総監部本部長
昭和4年8月1日 近衛師団
昭和5年12月22日 朝鮮軍司令官
昭和7年5月26日 教育総監軍事参議官
昭和7年4月11日 陸軍大将
昭和9年1月23日 陸軍大臣[7]
昭和10年9月5日 軍事参議官
昭和11年3月6日 待命
昭和11年3月10日 予備役被仰付[8]
昭和12年2月2日 内閣総理大臣外務大臣文部大臣[9]
昭和12年3月3日 免兼外務大臣[10]
昭和12年6月4日 依願免本官並兼官[11]
昭和15年10月3日 内閣参議(~昭和16年10月22日)
昭和18年2月4日 薨去

栄典

明治30年10月15日 正八位
明治32年12月26日 従七位
明治37年3月22日 正七位
明治39年4月1日 功四級金鵄勲章(年金500円)
勲五等双光旭日章
明治三十七八年従軍記章[12]
明治42年3月1日 従六位
明治43年8月28日 大韓帝国勲三等八卦章
大正1年8月1日 韓国併合記念章
大正2年5月31日 勲四等瑞宝章
大正3年3月10日 正六位
大正4年11月7日 勲三等瑞宝章
大正三四年従軍記章
大正6年8月30日 従五位[13]
大正9年11月1日 勲三等旭日中綬章
大正10年8月30日 正五位
大正15年4月2日 従四位[14]
大正15年4月26日 勲二等瑞宝章
昭和4年9月2日 正四位
昭和7年5月2日 従三位[15]
昭和7年6月14日 勲一等瑞宝章[16]
昭和9年4月29日 旭日大綬章
昭和六年乃至九年事変従軍記章[17]
昭和9年5月15日 正三位[18]
昭和10年9月21日 満洲国満洲帝国皇帝訪日紀念章
昭和12年6月15日 特ニ国務大臣タル前官ノ礼遇ヲ賜フ[19]
昭和12年7月2日 従二位(特旨)[20]
昭和15年8月15日 紀元二千六百年祝典記念章[21]
昭和18年2月4日 薨去
正二位(特旨)
旭日桐花大綬章[22]

出典