柴山兼四郎
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- しばやま かねしろう
- 柴山兼四郎
- 陸軍中将
- 輜重兵
- 士候24 陸大34
- 茨城県
- 明治22年5月1日 - 昭和31年1月23日
経歴
明治22年5月1日 | 生 |
明治45年5月28日 | 陸軍士官学校卒業(士候24) |
大正1年12月24日 | 任陸軍輜重兵少尉 |
大正8年12月1日 | 陸軍大学校入学 |
大正11年11月29日 | 陸軍大学校卒業(第34期) |
昭和2年7月26日 | 任陸軍輜重兵少佐 |
昭和7年4月11日 | 任陸軍輜重兵中佐 |
昭和8年5月30日 | 支那公使館附武官輔佐官 |
昭和9年12月26日 | 参謀本部附 |
昭和10年8月1日 | 輜重兵第18大隊長 |
昭和11年3月7日 | 陸軍輜重兵大佐 |
昭和11年6月1日 | 輜重兵第18聯隊長 |
昭和12年3月1日 | 陸軍省軍務局軍務課長 |
昭和13年6月18日 | 天津特務機関長 |
昭和14年3月9日 | 陸軍少将 |
昭和14年8月1日 | 漢口特務機関長 |
昭和15年9月5日 | 輜重兵監部附 |
昭和15年12月2日 | 陸軍輜重兵学校長 |
昭和16年10月15日 | 陸軍中将・輜重兵監 |
昭和17年4月1日 | 第26師団長(親補) |
昭和18年4月8日 | 補支那派遣軍総司令部附(南京政府最高顧問) |
昭和19年8月30日 | 任陸軍次官 叙高等官一等 特ニ親任官ノ待遇ヲ賜フ 補大本営陸軍大臣随員 |
昭和20年7月18日 | 補参謀本部附 |
昭和31年1月23日 | 死去 |
栄典
大正2年2月20日 | 叙正八位[1] |
大正5年3月20日 | 叙従七位[2] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[3] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和10年9月1日調
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第67号 昭和18年4月8日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120887000
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第180号 昭和19年8月31日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120918900
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第159号 昭和20年7月20日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120963100