溝口直亮
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- みぞぐち なおよし
- 溝口直亮
- 陸軍少将従二位勲二等功五級伯爵
- 砲兵
- 士候10 砲工高10 陸大20優等
- 東京都
- 明治11年4月11日 - 昭和26年12月14日
経歴
明治11年4月11日 | 生[1] |
明治31年11月25日 | 陸軍士官学校卒業(士候10) |
明治32年6月27日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治35年12月22日 | 陸軍砲工学校高等科卒業(第10期) |
明治36年8月3日 | 陸軍大学校入学 |
明治37年2月9日 | 陸軍大学校中退 |
明治39年3月20日 | 陸軍大学校復校 |
明治41年11月30日 | 陸軍大学校卒業(第20期優等) |
大正5年5月2日 | 任陸軍砲兵中佐 |
陸軍省軍務局課員兼陸軍技術審査部議員 | |
大正5年11月15日 | 補野砲兵第20聯隊附[2] |
大正7年1月18日 | 補陸軍省軍務局課員[3] |
大正8年1月15日 | 任陸軍砲兵大佐 補陸軍省軍務局砲兵課長兼陸軍技術審査部議員[4] |
大正8年4月15日 | 免兼陸軍技術審査部議員(廃止)[5] |
大正9年2月16日 | 保護自動車検査官首座軍用自動車調査委員ヲ免ス 補皇族附武官 稔彦王附属被仰付[6] |
大正11年8月15日 | 補野砲兵第3聯隊長[7] |
大正12年8月6日 | 任陸軍少将[1]・待命 |
大正12年9月1日 | 予備役[8][1] |
大正14年8月10日 | 任陸軍参与官 叙高等官二等 |
昭和4年7月5日 | 任陸軍政務次官 叙高等官一等 |
昭和12年4月1日 | 後備役 |
昭和26年12月14日 | 薨去 |
栄典
明治31年4月30日 | 叙従五位 |
大正3年5月16日 | 勲四等瑞宝章 |
大正5年5月20日 | 叙従四位 |
大正8年7月31日 | 伯爵(襲爵) |
大正8年10月25日 | 勲三等瑞宝章 |
大正9年11月1日 | 旭日中綬章 賜金3200円 大正三年乃至九年戦役従軍記章 戦捷記章 |
大正12年8月6日 | 叙正四位[9] |
大正12年10月30日 | 叙従三位(特旨)[10] |
昭和3年11月10日 | 金杯一箇 |
昭和6年5月1日 | 帝都復興記念章 |
昭和6年時点 | 勲三等旭日中綬章 勲三等瑞宝章 功五級金鵄勲章[1] |
昭和6年11月16日 | 叙正三位 |
昭和7年10月1日 | 朝鮮昭和五年国勢調査記念章 |
昭和9年時点 | 勲二等瑞宝章[11] |
昭和9年4月29日 | 旭日重光章[12] |
昭和15年12月2日 | 叙従二位[13] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第4448号 明治31年5月2日(月曜日)
- 官報第539号 大正3年5月18日(月曜日)
- 官報第1140号 大正5年5月22日(月曜日)
- 官報第2097号 大正8年8月1日(金曜日)
- 官報第2169号 大正8年10月27日(月曜日)
- 官報第2610号 大正10年4月16日(土曜日)
- 官報第2984号 大正11年7月13日(木曜日)
- 官報第3890号 大正14年8月11日(火曜日)
- 官報号外 昭和3年11月10日(土曜日)
- 官報第755号 昭和4年7月6日(土曜日)
- 官報第1470号 昭和6年11月21日(土曜日)
- 官報第2668号 昭和10年11月22日(金曜日)
- 官報第3098号 昭和12年5月5日(水曜日)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 陸軍予備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和6年4月1日調
- ↑ 官報第1288号 大正5年11月16日(木曜日)
- ↑ 官報第1637号 大正7年1月19日(土曜日)
- ↑ 官報第1934号 大正8年1月16日(木曜日)
- ↑ 官報第2008号 大正8年4月16日(水曜日)
- ↑ 官報第2259号 大正9年2月17日(火曜日)
- ↑ 官報第3013号 大正11年8月16日(水曜日)
- ↑ 陸軍予備役将校同相当官服役停年名簿. 大正15年4月1日調
- ↑ 官報第3307号 大正12年8月8日(水曜日)
- ↑ 官報第3358号 大正12年11月1日(木曜日)
- ↑ 陸軍予備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和9年4月1日調
- ↑ 官報第2696号 昭和10年12月27日(金曜日)
- ↑ 官報第4182号 昭和15年12月13日(金曜日)