秋山好古
ナビゲーションに移動
検索に移動
- あきやま よしふる
- 秋山好古
- 陸軍大将従二位勲一等功二級
- 騎兵
- 士官生徒3 陸大1
- 愛媛県
- 安政6年1月7日 - 昭和5年11月4日
経歴
安政6年1月7日 | 生 |
明治12年12月22日 | 任陸軍騎兵少尉 |
明治16年4月12日 | 陸軍大学校入学 |
明治18年12月24日 | 陸軍大学校卒業(第1期) |
騎兵監副官兼陸軍将校生徒試験常置委員 | |
明治26年5月5日 | 補騎兵第1大隊長[1] |
明治29年8月15日 | 陸軍乗馬学校長 |
明治30年10月11日 | 陸軍騎兵大佐 |
明治31年10月1日 | 陸軍騎兵実施学校長 |
明治33年7月10日 | 第5師団兵站監 |
明治34年4月22日 | 清国駐屯軍参謀長 |
明治34年10月25日 | 清国駐屯守備隊司令官 |
明治35年6月21日 | 陸軍少将 |
明治36年4月2日 | 騎兵第1旅団長 |
明治39年2月6日 | 騎兵監 |
明治42年8月1日 | 陸軍中将 |
大正2年1月15日 | 第13師団長 |
大正4年2月15日 | 近衛師団長 |
大正5年8月18日 | 朝鮮駐箚軍司令官 |
大正5年11月16日 | 陸軍大将 |
大正6年8月6日 | 軍事参議官 |
大正9年12月28日 | 補教育総監兼軍事参議官(親補)[2] |
大正12年3月17日 | 待命 |
大正12年3月31日 | 予備役被仰付[3][4] |
昭和5年11月4日 | 薨去 |
栄典
明治13年6月5日 | 叙正八位 |
明治16年4月9日 | 叙従七位 |
明治19年11月27日 | 叙正七位[5] |
明治26年1月10日 | 叙従六位 |
明治28年5月23日 | 勲六等瑞宝章 |
明治28年9月20日 | 功四級金鵄勲章 授単光旭日章 |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治29年3月24日 | 叙正六位 |
明治30年10月30日 | 叙従五位 |
明治33年5月31日 | 勲五等瑞宝章 |
明治34年10月1日 | 功三級金鵄勲章 勲三等旭日中綬章[6] |
明治35年10月20日 | 叙正五位[7] |
明治38年11月30日 | 勲二等瑞宝章 |
明治39年4月1日 | 功二級金鵄勲章(年金1000円) 授旭日重光章 明治三十七八年従軍記章[8] |
明治40年11月11日 | 叙従四位 |
大正1年12月28日 | 叙正四位 |
大正2年11月28日 | 勲一等瑞宝章 |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[9] |
大正5年1月31日 | 叙従三位[10] |
大正7年5月23日 | 中華民国一等文虎勲章佩用允許 |
大正7年11月29日 | 授旭日大綬章 |
大正8年3月10日 | 叙正三位 |
大正9年11月1日 | 金杯一組 大正三年乃至九年戦役従軍記章[11] |
大正12年4月30日 | 叙従二位(特旨)[12] |
昭和5年11月4日 | 授旭日桐花大綬章 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第1743号 大正7年5月27日(月曜日)
- ↑ 官報第2953号 明治26年5月6日(土曜日)
- ↑ 官報第2524号 大正9年12月29日(水曜日)
- ↑ 官報第3199号 大正12年4月2日(月曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に3月30日とあるのは誤り。
- ↑ 官報第1033号 明治19年12月8日(水曜日)
- ↑ 官報第5487号 明治34年10月15日(火曜日)
- ↑ 官報第5790号 明治35年10月21日(火曜日)
- ↑ 官報第5226号 明治33年12月1日(土曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 官報第1048号 大正5年2月1日(火曜日)
- ↑ 官報第2612号 大正10年4月19日(火曜日)
- ↑ 官報第3223号 大正12年5月1日(火曜日)