金山久松
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- かなやま ひさまつ
- 金山久松
- 陸軍中将従三位勲二等功四級
- 砲兵
- 士候8 陸大19
- 富山県
- 明治8年1月 - 昭和30年1月16日
経歴
明治8年1月 | 生[1] |
明治29年11月26日 | 陸軍士官学校卒業(士候8) |
明治30年6月28日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治32年11月17日 | 任陸軍砲兵中尉 |
明治35年8月9日 | 陸軍大学校入学 |
明治35年11月15日 | 任陸軍砲兵大尉 |
明治37年2月9日 | 陸軍大学校中退 |
明治39年3月20日 | 陸軍大学校復校 |
明治40年11月13日 | 任陸軍砲兵少佐 |
明治40年11月30日 | 陸軍大学校卒業(第19期) |
野砲兵第9聯隊附 | |
明治40年12月26日 | 補対馬警備隊司令部参謀 |
大正2年1月21日 | 任陸軍砲兵中佐 |
陸軍野戦砲兵射撃学校教官兼同校教導大隊長 陸軍技術審査部議員陸軍歩兵学校研究部部員 | |
大正6年5月2日 | 補陸軍野戦砲兵射撃学校教導大隊長兼同校教官 陸軍技術審査部議員陸軍歩兵学校研究部部員 |
大正6年5月18日 | 補陸軍野戦砲兵射撃学校教官 兼陸軍技術審査部議員陸軍歩兵学校研究部部員 |
大正6年8月6日 | 任陸軍砲兵大佐 補野砲兵第24聯隊長 |
大正8年7月25日 | 第9師団参謀長 |
大正9年2月21日 | 補参謀本部課長(要塞課) |
大正10年6月3日 | 陸軍技術会議議員被仰付 |
大正10年7月20日 | 陸軍技術会議議員被免 作戦資材整備会議議員要塞建設実行委員ヲ免ス 任陸軍少将 補野砲兵第1旅団長 |
大正11年8月11日 | 野戦重砲兵第4旅団長 |
大正12年8月6日[2] | 補陸軍野戦砲兵学校長 |
大正15年3月2日 | 陸軍中将・砲兵監 |
昭和3年3月8日 | 第12師団長 |
昭和5年8月1日 | 待命 |
昭和5年8月29日 | 予備役 |
昭和13年4月1日 | 後備役[3] |
昭和30年1月16日 | 死去 |
栄典
明治39年4月1日 | 功四級金鵄勲章 勲五等双光旭日章 明治三十七八年従軍記章[4] |
大正6年8月30日 | 叙従五位[5] |
大正10年8月30日 | 叙正五位 |
大正14年7月11日 | 中華民国三等文虎勲章佩用允許[6] |
大正15年4月2日 | 叙従四位[7] |
昭和3年4月16日 | 叙正四位 |
昭和5年9月26日 | 叙従三位(特旨)[8] |
昭和9年4月29日 | 昭和六年乃至九年事変従軍記章[9] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[10] |