金谷範三
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- かなや はんぞう
- 金谷範三
- 陸軍大将従二位勲一等功四級
- 歩兵
- 士候5 陸大15優等
- 大分県
- 明治6年4月24日 - 昭和8年6月6日
経歴
明治6年4月24日 | 生 |
明治27年7月27日 | 陸軍士官学校卒業(士候5) |
明治27年9月18日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治31年12月27日 | 陸軍大学校入学 |
明治34年11月28日 | 陸軍大学校卒業(第15期優等) |
明治38年4月19日 | 任陸軍歩兵少佐[1] |
明治42年11月30日 | 任陸軍歩兵中佐[1] |
明治42年12月2日 | 陸軍大学校兵学教官 |
大正1年11月11日 | 墺国大使館附武官 墺国駐在員取締 |
大正2年8月22日 | 任陸軍歩兵大佐[1] |
大正3年8月27日 | 参謀本部附(欧洲駐在) |
大正4年8月10日 | 歩兵第57聯隊長 |
大正5年5月2日 | 参謀本部作戦課長 |
大正7年6月10日 | 任陸軍少将[2]・支那駐屯軍司令官 |
大正8年7月25日 | 参謀本部第1部長 |
大正11年2月8日 | 参謀本部附(防務会議幹事) |
大正11年8月15日 | 陸軍中将・第18師団長 |
大正14年5月1日 | 参謀次長 |
大正15年3月2日 | 兼陸軍大学校長 |
昭和2年3月5日 | 朝鮮軍司令官 |
昭和3年8月10日 | 任陸軍大将 |
昭和4年8月1日 | 軍事参議官 |
昭和5年2月19日 | 参謀総長 |
昭和6年12月23日 | 軍事参議官 |
昭和8年6月6日 | 薨去 |
栄典
明治27年10月26日 | 叙正八位[3] |
勲四等瑞宝章 | |
明治39年4月1日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 旭日小綬章 明治三十七八年従軍記章[4] |
大正3年5月16日 | 勲三等瑞宝章 |
大正3年時点 | 従五位[1] |
大正4年1月25日 | ブルガリア王国三等聖アレクサンダル勲章佩用允許 |
大正9年時点 | 正五位 勲三等旭日中綬章 勲三等瑞宝章 中華民国二等嘉禾章[2] |
大正9年11月1日 | 勲二等旭日重光章 賜金2800円 大正三年乃至九年戦役従軍記章[5] 戦捷記章[6] |
大正11年9月11日 | 叙従四位 |
大正13年12月1日 | 叙正四位 |
昭和2年12月15日 | 叙従三位 |
昭和3年9月29日 | 勲一等瑞宝章[7] |
昭和5年12月25日 | フランス共和国レジオンドヌール勲章グラントフィシエ佩用允許[8] |
昭和6年1月16日 | 叙正三位[9] |
昭和6年9月29日 | ポーランド国復興勲章グランクロア佩用允許[10] |
昭和8年6月6日 | 薨去 叙従二位(特旨)[11] 授旭日大綬章 昭和六年乃至九年事変従軍記章[12] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第2027号 昭和8年10月2日(月曜日)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正3年7月1日調
- ↑ 2.0 2.1 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正9年9月1日調
- ↑ 官報第3401号 明治27年10月27日(土曜日)
- ↑ 官報第7031号 明治39年12月5日(水曜日)
- ↑ 官報第2612号 大正10年4月19日(火曜日)
- ↑ 官報第2903号 大正11年4月10日(月曜日)
- ↑ 官報第531号 昭和3年10月1日(月曜日)
- ↑ 官報第1200号 昭和5年12月27日(土曜日)
- ↑ 官報第1225号 昭和6年1月31日(土曜日)
- ↑ 官報第1428号 昭和6年10月1日(木曜日)
- ↑ 官報第1929号 昭和8年6月8日(木曜日)
- ↑ 官報第2598号 昭和10年8月29日(木曜日)