香椎浩平
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- かしい こうへい
- 香椎浩平
- 陸軍中将正四位勲一等功四級
- 歩兵
- 士候12 陸大21
- 福岡県
- 明治14年1月25日 - 昭和29年12月3日
経歴
明治14年1月25日 | 生 |
明治32年12月1日 | 陸軍士官学校入校 |
明治33年11月21日 | 陸軍士官学校卒業(士候12) |
明治33年11月26日 | 見習士官ヲ命ス |
明治34年6月25日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治39年11月22日 | 陸軍大学校入学 |
明治42年12月3日 | 陸軍大学校卒業(第21期) |
大正8年10月6日 | 参謀本部欧米課ドイツ班長兼元帥副官(川村景明元帥附属) |
大正10年2月8日 | ドイツ大使館附武官 |
大正10年7月20日 | 陸軍歩兵大佐 |
大正13年10月14日 | 参謀本部附 |
大正13年12年15日 | 歩兵第46聯隊長 |
大正15年3月2日 | 陸軍少将・歩兵第10旅団長 |
昭和3年8月10日 | 陸軍戸山学校長 |
昭和5年12月22日 | 支那駐屯軍司令官 |
昭和6年8月1日 | 陸軍中将 |
昭和7年2月29日 | 陸軍兵器本廠附(陸軍次官補佐) |
昭和7年5月26日 | 教育総監部本部長 |
昭和9年3月5日 | 第6師団長 |
昭和10年12月2日 | 補東京警備司令官兼東部防衛司令官(親補)[1][2] |
昭和11年2月27日 | 兼補戒厳司令官 |
昭和11年4月2日 | 待命 |
昭和11年7月10日 | 予備役 |
昭和29年12月3日 | 薨去 |
栄典
明治34年10月10日 | 叙正八位[3] |
明治37年2月19日 | 叙従七位[4] |
明治38年8月11日 | 叙正七位[5] |
明治39年4月1日 | 功五級金鵄勲章 勲六等単光旭日章 明治三十七八年従軍記章[6] |
明治43年9月30日 | 叙従六位[7] |
大正4年10月30日 | 叙正六位[8] |
大正4年11月7日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 勲四等旭日小綬章 大正三四年従軍記章[9] |
大正9年11月30日 | 叙従五位[10] |
大正14年12月28日 | 叙正五位[11] |
昭和3年5月29日 | ポーランド国ダルシャン・ヴィルッチ・ミリタリ勲章佩用允許 |
昭和6年1月16日 | 叙従四位[12] |
昭和6年4月11日 | 勲二等瑞宝章[13] |
昭和9年3月15日 | 叙正四位[14] |
昭和9年4月29日 | 勲一等旭日大綬章 |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[15] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第427号 昭和3年6月1日(金曜日)
- ↑ 官報第2676号 昭和10年12月3日(火曜日)
- ↑ この時「正四位勲一等功四級」
- ↑ 官報第5484号 明治34年10月11日(金曜日)
- ↑ 官報第6188号 明治37年2月20日(土曜日)
- ↑ 官報第6640号 明治38年8月17日(木曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月11日(火曜日)
- ↑ 官報第8185号 明治43年10月1日(土曜日)
- ↑ 官報第976号 大正4年11月1日(月曜日)
- ↑ 官報第1068号 大正5年2月25日(金曜日)
- ↑ 官報第2500号 大正9年12月1日(水曜日)
- ↑ 官報第4046号 大正15年2月22日(月曜日)
- ↑ 官報第1225号 昭和6年1月31日(土曜日)
- ↑ 官報第1285号 昭和6年4月15日(水曜日)
- ↑ 官報第2164号 昭和9年3月22日(木曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)