齊藤彌平太
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- さいとう やへいた
- 齊藤彌平太
- 陸軍中将勲一等功三級
- 歩兵
- 士候19 陸大26
- 香川県
- 明治18年9月28日 - 昭和28年9月28日戦時死亡宣告
経歴
明治18年9月28日 | 生 |
明治40年5月31日 | 陸軍士官学校卒業(士候19) |
明治40年12月26日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治44年12月12日 | 陸軍大学校入学 |
大正3年11月27日 | 陸軍大学校卒業(第26期) |
昭和4年11月1日 | 陸軍大学校教官 |
昭和5年8月1日 | 任陸軍歩兵大佐・陸軍省整備局統制課長 |
昭和7年8月8日 | 関東軍参謀(作戦課長) |
昭和8年8月1日 | 歩兵第6聯隊長 |
昭和10年3月15日 | 任陸軍少将・歩兵第28旅団長 |
昭和12年3月1日 | 補第1師団司令部附 |
昭和12年11月1日 | 第4独立守備隊司令官(~昭和13年7月15日) |
昭和13年3月1日 | 陸軍中将 |
昭和13年11月9日 | 第101師団長(親補) |
昭和14年11月11日 | 留守第1師団司令部附 |
昭和15年4月1日 | 陸軍兵器本部長 |
昭和17年7月1日 | 第25軍司令官(親補) |
昭和18年4月8日 | 補参謀本部附 |
昭和18年5月3日 | 予備役 |
昭和18年8月 | 朝鮮指導者養成所長 |
昭和19年7月22日 | 満洲拓殖公社総裁 |
昭和21年5月4日 | 紅軍により抑留 |
昭和28年9月28日 | 戦時死亡宣告 |
栄典
功四級金鵄勲章 | |
大正10年6月30日 | 叙従六位[1] |
大正15年8月2日 | 叙正六位 |
昭和8年10月5日 | 勲三等瑞宝章[2] |
昭和13年8月13日 | 勲二等瑞宝章[3] |
功三級金鵄勲章 | |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[4] |
昭和17年2月10日 | 旭日大綬章(親授式)[5] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第67号 昭和18年4月8日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120887000
- 官報第4197号 大正15年8月19日(木曜日)
- 官報第3046号 昭和12年3月2日(火曜日)