上原勇作
ナビゲーションに移動
検索に移動
- うえはら ゆうさく
- 上原勇作
- 元帥陸軍大将従一位大勲位功一級子爵
- 工兵
- 士官生徒3
- 宮崎県
- 安政3年11月9日 - 昭和8年11月8日
経歴
安政3年11月9日 | 生 |
明治12年12月22日 | 任陸軍工兵少尉 |
明治15年9月29日 | 任陸軍工兵中尉 |
明治18年6月13日 | 任陸軍工兵大尉 |
明治23年5月9日 | 任陸軍工兵少佐 |
明治23年10月22日 | 工兵第5大隊長 |
明治25年8月29日 | 参謀本部副官 |
明治25年9月9日 | 兼陸軍大学校教官 |
明治27年8月27日 | 第1軍参謀 |
明治27年9月25日 | 任陸軍工兵中佐 |
明治28年3月20日 | 第1軍参謀副長 |
明治29年2月26日 | 伏見宮貞愛親王露国差遣随行 |
明治29年5月12日 | 参謀本部第4部長 |
明治29年8月12日 | 帰朝 |
明治30年10月11日 | 任陸軍工兵大佐 |
明治32年1月16日 | 参謀本部第3部長兼参謀本部第5部長 |
明治32年4月4日 | 免兼 |
明治32年4月11日 | ヘーグ平和会議随員 |
明治33年7月11日 | 任陸軍少将 補陸軍砲工学校長兼参謀本部第3部長[1] |
明治34年7月24日 | 工兵監 |
明治37年6月25日 | 第4軍参謀長 |
明治39年2月3日 | 工兵監 |
明治39年7月6日 | 陸軍中将 |
明治41年12月21日 | 第7師団長 |
明治44年9月6日 | 第14師団長 |
明治45年4月5日 | 陸軍大臣 |
大正1年12月21日 | 依願免本官[2] 待命[3] |
大正2年3月1日 | 第3師団長 |
大正2年6月9日 | 待命 |
大正3年4月22日 | 教育総監 |
大正4年2月15日 | 任陸軍大将 兼補軍事参議官(親補)[4] |
大正4年12月17日 | 参謀総長 |
大正10年4月27日 | 元帥 |
大正12年3月17日 | 免本職(参謀総長) |
大正13年5月10日 | 議定官 |
昭和8年11月8日 | 薨去 |
栄典
明治13年5月31日 | 叙正八位 |
明治15年10月31日 | 叙従七位 |
明治18年9月16日 | 叙正七位 |
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章 |
明治24年12月28日 | 叙従六位 |
明治26年5月26日 | 勲六等瑞宝章 |
明治27年12月5日 | 叙正六位 |
明治28年10月18日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 単光旭日章[5] |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治29年11月25日 | 勲五等瑞宝章 |
明治30年10月30日 | 叙従五位 |
明治32年12月27日 | 勲四等旭日小綬章 |
明治33年11月10日 | 叙正五位 |
明治34年12月27日 | 勲二等旭日重光章 |
明治38年12月25日 | 叙従四位 |
明治39年4月1日 | 功二級金鵄勲章(年金1000円) 明治三十七八年従軍記章[6] |
明治40年9月21日 | 男爵 |
明治41年5月25日 | 勲一等瑞宝章 |
明治42年2月1日 | 叙正四位 |
明治45年3月1日 | 叙従三位 |
大正4年3月10日 | 叙正三位 |
大正4年9月29日 | 授旭日大綬章 |
大正4年11月7日 | 金杯一組 大正三四年従軍記章[7] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[8] |
大正7年5月23日 | 中華民国一等文虎勲章佩用允許 |
大正9年3月20日 | 叙従二位 |
大正9年11月1日 | 授旭日桐花大綬章 賜金6600円 (大正四年乃至九年戦役並ニ対独平和条約等締結ノ功) 大正三年乃至九年戦役従軍記章[9] 戦捷記章[10] |
大正10年4月18日 | 子爵 |
大正10年4月27日 | 元帥 |
大正14年1月14日 | 御紋付銀杯 |
昭和2年5月2日 | 叙正二位 |
昭和3年11月10日 | 大礼記念章 |
昭和8年11月8日 | 叙従一位(特旨)[11] 大勲位菊花大綬章[11] 金杯一組[12] 昭和六年乃至九年事変従軍記章[12] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第1947号 明治22年12月23日(月曜日)
- 官報第8608号 明治45年3月2日(土曜日)
- 官報第1743号 大正7年5月27日(月曜日)
- 上原勇作 - Wikipedia
- ↑ 官報第5107号 明治33年7月12日(木曜日)
- ↑ 官報号外 大正1年12月21日(土曜日)
- ↑ 辞令によらない待命か
- ↑ 官報第760号 大正4年2月16日(火曜日)
- ↑ 官報第3693号 明治28年10月19日(土曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月30日(日曜日)
- ↑ 官報第1187号 大正5年7月15日(土曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 官報第2612号 大正10年4月19日(火曜日)
- ↑ 官報第2903号 大正11年4月10日(月曜日)
- ↑ 11.0 11.1 官報第2059号 昭和8年11月10日(金曜日)
- ↑ 12.0 12.1 官報第2598号 昭和10年8月29日(木曜日)