古谷清
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- ふるや きよし
- 古谷 清
- 陸軍中将正四位勲二等功四級
- 砲兵
- 士候10 陸大21
- 東京都
- 明治11年10月28日 - 昭和20年11月21日
経歴
明治11年10月28日 | 生 |
明治31年11月25日 | 陸軍士官学校卒業(士候10) |
明治32年6月27日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治39年11月22日 | 陸軍大学校入学 |
明治42年12月3日 | 陸軍大学校卒業(第21期) |
野砲兵第19聯隊大隊長 | |
大正5年2月22日 | 補陸軍野戦砲兵射撃学校教官 |
大正5年11月15日 | 任陸軍砲兵中佐 補野砲兵第21聯隊附 |
大正6年12月1日 | 野砲兵第21聯隊附被仰付 |
大正7年4月25日 | 補露国大使館附武官 |
大正8年7月25日 | 任陸軍砲兵大佐 |
大正8年10月13日 | 参謀本部附(欧洲出張) |
大正9年1月10日 | 平和条約実施委員被仰付 |
大正10年1月20日 | 野戦重砲兵第2聯隊長 |
大正11年2月8日 | 補陸軍省軍務局砲兵課長 陸軍技術会議議員被仰付 保護自動車検査官首座軍用自動車調査委員要塞建設実行委員 作戦資材整備会議議員兵器検査方法調査委員ヲ命ス |
大正12年8月6日 | 補陸軍野戦砲兵学校教育部長 陸軍技術会議議員被免 |
大正12年10月15日 | 陸軍少将 |
大正13年2月4日 | 陸軍航空部附 |
大正14年5月1日 | 陸軍航空本部総務部長 |
昭和2年7月26日 | 所沢陸軍飛行学校長 |
昭和4年8月1日 | 陸軍中将 |
昭和5年6月2日 | 補陸軍航空本部長 |
昭和6年8月1日 | 待命 |
昭和6年8月29日 | 予備役 |
昭和20年11月21日 | 死去 |
栄典
功五級金鵄勲章 勲三等瑞宝章 | |
大正3年4月30日 | 中華民国四等嘉禾章佩用允許 |
大正9年11月1日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 旭日中綬章 賜金1300円 大正三年乃至九年戦役従軍記章 |
大正11年3月16日 | フランス共和国レジオンドヌール勲章オフィシェー佩用允許 |
昭和3年12月28日 | 叙従四位 |
勲二等瑞宝章 フランス共和国レジオンドヌール勲章コマンドゥール ベルギー王国三等レオポルド2世勲章 ロシア帝国聖スタニスラス第二等勲章[1] | |
昭和6年9月28日 | 叙正四位(特旨)[2] |
昭和9年4月29日 | 昭和六年乃至九年事変従軍記章[3] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[4] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第527号 大正3年5月4日(月曜日)
- 官報第1066号 大正5年2月23日(水曜日)
- 官報第1288号 大正5年11月16日(木曜日)
- 官報第1601号 大正6年12月3日(月曜日)
- 官報. 1918年04月26日
- 官報第2231号 大正9年1月14日(水曜日)
- 官報第2610号 大正10年4月16日(土曜日)
- 官報第2855号 大正11年2月9日(木曜日)
- 官報第2886号 大正11年3月18日(土曜日)
- 官報第3306号 大正12年8月7日(火曜日)
- 官報第624号 昭和4年1月30日(水曜日)
- 官報. 1930年06月04日