寺倉正三
ナビゲーションに移動
検索に移動
- てらくら しょうぞう
- 寺倉正三
- 陸軍中将功三級
- 歩兵
- 士候22 陸大31
- 岐阜県
- 明治22年10月14日 - 昭和39年7月7日
経歴
明治22年10月14日 | 生 |
明治43年5月28日 | 陸軍士官学校卒業(士候22) |
明治43年12月26日 | 任陸軍歩兵少尉 |
大正5年12月9日 | 陸軍大学校入学 |
大正8年11月26日 | 陸軍大学校卒業(第31期優等) |
昭和4年8月1日 | 陸軍歩兵中佐 |
昭和8年8月1日 | 陸軍歩兵大佐・陸軍歩兵学校研究部主事 |
昭和9年4月21日 | 独立歩兵第1聯隊長[2] |
昭和11年3月7日 | 陸軍省高級副官 |
昭和12年8月2日 | 任陸軍少将[3]・下志津陸軍飛行学校附 |
昭和13年3月9日 | 第1飛行団長 |
昭和14年7月1日 | 陸軍航空士官学校長 |
昭和14年10月2日 | 陸軍中将 |
昭和16年10月25日 | 留守第2師団長 |
昭和18年6月10日 | 補第42師団長(親補) |
昭和19年3月10日 | 補第27軍司令官(親補) |
昭和20年2月1日 | 補参謀本部附 |
昭和20年3月19日 | 待命被仰付 |
昭和20年3月20日 | 予備役被仰付 |
昭和20年3月22日 | 補陸軍兵器行政本部附 |
昭和20年4月1日 | 補東京師管区司令官(親補) |
昭和20年7月5日 | 補東部軍管区司令部附 |
昭和20年8月21日 | 補東京防衛軍司令官 補東京師管区司令官 |
昭和39年7月7日 | 死去 |
栄典
昭和9年2月7日 | 勲三等瑞宝章[4] |
昭和14年1月16日 | 勲二等瑞宝章[5] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[6] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第107号 昭和18年6月11日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120890900
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第47号 昭和19年3月11日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120904700
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第24号 昭和20年2月1日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120932700
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第66号 昭和20年3月20日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120937000
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第68号 昭和20年3月26日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120937200
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第75号 昭和20年4月1日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120938500
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第152号 昭和20年7月6日 陸軍異動通報 (防衛省防衛研究所)」Ref.C12120962400
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第1号 昭和20年8月31日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120963200
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和10年9月1日調
- ↑ 官報. 1937年08月03日
- ↑ 昭和10年版実役停年名簿では補職が空欄になっている。動員中の部隊だからだろうか?
- ↑ 官報第3175号 昭和12年8月3日(火曜日)
- ↑ 官報第2130号 昭和9年2月9日(金曜日)
- ↑ 官報第3616号 昭和14年1月26日(木曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)