稲田正純
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- いなだ まさずみ
- 稲田正純
- 陸軍中将功四級
- 砲兵
- 士候29 陸大37優等
- 鳥取県
- 明治29年8月27日 - 昭和61年1月24日
経歴
明治29年8月27日 | 生 |
大正6年5月25日 | 陸軍士官学校卒業(士候29) |
大正6年12月25日 | 任陸軍砲兵少尉 |
大正11年12月14日 | 陸軍大学校入学 |
大正14年11月27日 | 陸軍大学校卒業(第37期優等) |
昭和12年4月1日 | 参謀本部戦争指導課高級課員 |
昭和12年8月2日 | 陸軍省軍務局軍事課高級課員 |
昭和13年3月1日 | 参謀本部作戦課長 |
昭和13年7月15日 | 陸軍砲兵大佐 |
昭和14年10月12日 | 参謀本部附 |
昭和14年11月10日 | 陸軍習志野学校附 |
昭和15年8月1日 | 阿城重砲兵聯隊長 |
昭和16年7月7日 | 第5軍参謀副長 |
昭和16年10月15日 | 陸軍少将 |
昭和17年7月1日 | 第5軍参謀長 |
昭和18年2月23日 | 南方軍総参謀副長 |
昭和18年10月1日 | 南方軍総司令部附 |
昭和18年10月15日 | 第19軍司令部附 |
昭和18年10月29日 | 第2野戦根拠地隊司令官 |
昭和19年4月1日 | 補第6飛行師団長心得 |
昭和19年8月15日 | 停職被仰付 |
昭和19年10月16日 | 補第3船舶輸送司令官[1] |
昭和20年4月1日 | 補陸軍兵器行政本部附 |
昭和20年4月30日 | 陸軍中将 |
昭和20年5月3日 | 補第16方面軍参謀長兼西部軍管区参謀長 |
昭和20年11月 | 復員 |
昭和21年8月 | 戦犯容疑で収監 |
昭和23年8月 | 重労働7年判決 |
昭和26年6月 | 釈放 |
昭和61年1月24日 | 死去 |
栄典
昭和14年1月16日 | 勲四等瑞宝章| |
昭和15年11月10日 | 紀元二千六百年祝典記念章 |
昭和18年10月9日 | 勲二等瑞宝章[2] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第60号 昭和19年4月1日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120906000
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第164号 昭和19年8月15日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120917300
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第75号 昭和20年4月1日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120938500
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第102号 昭和20年5月3日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120941300
- 官報第3616号 昭和14年1月26日(木曜日)
- 官報第4480号 昭和16年12月12日(金曜日)
- ↑ 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第215号 昭和19年10月17日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120922900
- ↑ 官報第5029号 昭和18年10月15日(金曜日)