立花小一郎
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- たちばな こいちろう
- 立花小一郎
- 陸軍大将従二位勲一等功二級男爵
- 歩兵
- 士官生徒6 陸大5優等
- 福岡県
- 万延2年2月10日 - 昭和4年2月15日
経歴
万延2年2月10日 | 生 |
明治16年12月25日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治20年1月31日 | 陸軍大学校入学 |
明治22年12月9日 | 陸軍大学校卒業(第5期優等) |
明治35年2月15日 | 袁世凱軍事顧問 |
明治36年12月16日 | 陸軍省人事局恩賞課長 |
明治37年1月17日 | 陸軍省人事局補任課長 |
明治37年6月24日 | 第4軍参謀副長 |
明治38年3月1日 | 陸軍歩兵大佐・大本営参謀 |
明治38年7月1日 | 補米国公使館附[1] |
明治39年2月8日 | 参謀本部附兼勤被免 参謀本部附被仰付[2] |
明治39年2月28日 | 参謀本部附被免 補陸軍省副官[3] |
明治42年8月1日 | 陸軍少将・歩兵第22旅団長 |
明治43年3月9日 | 歩兵第30旅団長 |
明治44年9月6日 | 近衛歩兵第1旅団長 |
大正1年9月28日 | 朝鮮駐箚軍参謀長 |
大正3年4月17日 | 朝鮮駐箚憲兵隊司令官 |
大正3年8月8日 | 陸軍中将 |
大正5年4月1日 | 第19師団長 |
大正7年7月24日 | 第4師団長 |
大正8年4月12日 | 関東軍司令官 |
大正9年8月16日 | 陸軍大将 |
大正10年1月6日 | 浦塩派遣軍司令官 |
大正11年11月6日 | 軍事参議官 |
大正12年3月17日 | 待命 |
大正12年3月30日 | 予備役 |
大正13年8月 | 福岡市長(~大正14年8月) |
大正14年7月 | 貴族院議員 |
昭和4年2月15日 | 薨去 |
栄典
明治17年2月9日 | 叙正八位 |
明治22年7月15日 | 叙従七位 |
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章[4] |
明治27年4月30日 | 叙正七位 |
明治28年10月31日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲六等瑞宝章[5] |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治31年10月31日 | 叙従六位 |
明治35年5月10日 | 明治三十三年従軍記章[6] |
明治36年10月10日 | 叙正六位 |
明治38年4月7日 | 叙従五位 |
明治39年7月3日 | プロイセン王国赤鷲剣附第二等勲章佩用允許 |
明治42年10月20日 | 叙正五位 |
大正3年9月1日 | 叙従四位 |
大正4年11月7日 | 授旭日重光章 賜金1100円(大正三四年事件の功)[7] 大正三四年従軍記章[8] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[8] |
大正5年9月20日 | 叙正四位[9] |
大正8年10月10日 | 叙従三位 |
大正9年9月29日 | 勲一等瑞宝章[10] |
大正9年11月1日 | 授旭日大綬章 賜金2800円 大正三年乃至九年戦役従軍記章[11] 賜金3000円(西比利亜地方派遣中ノ功)[12] |
大正10年1月14日 | 中華民国一等大綬嘉禾章 |
大正11年10月20日 | 叙正三位 |
大正12年4月30日 | 叙従二位 |
大正12年10月16日 | 授男爵(勲功)[12] |
昭和3年11月10日 | 金杯一箇 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第6905号 明治39年7月6日(金曜日)
- 官報号外 昭和3年11月10日(土曜日)
- 立花小一郎 - Wikipedia
- ↑ 在職中に大使館に昇格
- ↑ 官報第6782号 明治39年2月10日(土曜日)
- ↑ 官報第6798号 明治39年3月1日(木曜日)
- ↑ 官報号外 明治22年12月29日(日曜日)
- ↑ 官報第3708号 明治28年11月6日(水曜日)
- ↑ 官報第5820号 明治35年11月26日(水曜日)
- ↑ 官報第1218号 大正5年8月21日(月曜日)
- ↑ 8.0 8.1 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 官報第1244号 大正5年9月21日(木曜日)
- ↑ 官報第2449号 大正9年9月30日(木曜日)
- ↑ 官報第2612号 大正10年4月19日(火曜日)
- ↑ 12.0 12.1 官報第3347号 大正12年10月18日(木曜日)