西義一
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- にし よしかず
- 西 義一
- 陸軍大将正三位勲一等功二級
- 砲兵
- 士候10 砲工高10 陸大21
- 福島県
- 明治11年1月1日 - 昭和16年4月15日
経歴
明治11年1月1日 | 生 |
明治31年11月25日 | 陸軍士官学校卒業(士候10) |
明治32年6月27日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治34年11月3日 | 任陸軍砲兵中尉[1] |
明治35年12月22日 | 陸軍砲工学校高等科卒業(第10期) |
明治37年11月30日 | 任陸軍砲兵大尉[1] |
明治39年11月22日 | 陸軍大学校入学 |
明治42年12月3日 | 陸軍大学校卒業(第21期) |
明治43年11月30日 | 任陸軍砲兵少佐[1] |
大正5年5月2日 | 任陸軍砲兵中佐[2] |
野砲兵第1聯隊附[3] | |
大正6年8月6日 | 補陸軍野戦砲兵射撃学校教官[3] |
大正6年8月30日 | 兼補陸軍技術審査部議員[4] |
大正7年7月24日 | 補陸軍野戦砲兵射撃学校教育部長(兼職如故)[5][6] |
大正8年4月15日 | 免兼陸軍技術審査部議員(廃止) |
大正8年7月25日 | 陸軍砲兵大佐 |
大正8年12月27日 | 補侍従武官[7] |
大正12年8月6日 | 陸軍少将 |
昭和2年7月26日 | 野戦重砲兵第3旅団長 |
昭和3年8月10日 | 陸軍中将・陸軍技術本部総務部長 |
昭和5年8月1日 | 陸軍野戦砲兵学校長 |
昭和6年8月1日 | 補第8師団長(親補) 陸軍技術会議議員被免[8] |
昭和9年3月5日 | 補東京警備司令官(親補)[9] |
昭和9年11月28日 | 任陸軍大将[10] |
昭和10年8月1日 | 兼補東部防衛司令官(親補)[11] |
昭和10年12月2日 | 補軍事参議官(親補)[12] |
昭和11年3月5日 | 補教育総監兼軍事参議官(親補)[13] |
昭和11年8月1日 | 依願予備役被仰付[14] |
昭和16年4月15日 | 薨去 |
栄典
明治35年2月20日 | 叙従七位 |
大正12年11月20日 | 叙正五位 |
大正14年5月10日 | 勲二等瑞宝章 |
昭和3年9月1日 | 叙従四位 |
昭和6年9月1日 | 叙正四位 |
昭和7年10月15日 | 勲一等瑞宝章 |
昭和9年4月29日 | 功二級金鵄勲章(年金1000円) 勲一等旭日大綬章 昭和六年乃至九年事変従軍記章[10] |
昭和9年9月15日 | 叙従三位[15] |
昭和11年8月20日 | 叙正三位(特旨)[16][17] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[18] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第3814号 大正14年5月13日(水曜日)
- 官報第1418号 昭和6年9月18日(金曜日)
- 官報第1741号 昭和7年10月18日(火曜日)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正9年9月1日調
- ↑ 官報第1124号 大正5年5月3日(水曜日)
- ↑ 3.0 3.1 官報第1505号 大正6年8月7日(火曜日)
- ↑ 官報第1526号 大正6年9月1日(土曜日)
- ↑ 官報第1794号 大正7年7月25日(木曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に7月25日とあるのは誤り。
- ↑ 官報第2222号 大正8年12月29日(月曜日)
- ↑ 官報第1378号 昭和6年8月3日(月曜日)
- ↑ 官報第2151号 昭和9年3月6日(火曜日)
- ↑ 10.0 10.1 官報第2374号 昭和9年11月29日(木曜日)
- ↑ 官報第2575号 昭和10年8月2日(金曜日)
- ↑ 官報第2676号 昭和10年12月3日(火曜日)
- ↑ 官報第2751号 昭和11年3月6日(金曜日)
- ↑ 官報第2876号 昭和11年8月3日(月曜日)
- ↑ 官報第2318号 昭和9年9月20日(木曜日)
- ↑ 官報第2892号 昭和11年8月21日(金曜日)
- ↑ 「JACAR(アジア歴史資料センター)、陸軍大将西義一外四名特旨叙位ノ件(国立公文書館)」Ref.A11114394200
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)