鈴木宗作
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- すずき そうさく
- 鈴木宗作
- 陸軍大将従三位勲一等功三級
- 歩兵
- 士候24 陸大31首席
- 愛知県
- 明治24年9月27日 - 昭和20年4月19日戦死
経歴
明治24年9月27日 | 生 |
明治45年5月28日 | 陸軍士官学校卒業(士候24) |
大正1年12月24日 | 任陸軍歩兵少尉 |
大正5年12月9日 | 陸軍大学校入学 |
大正8年11月26日 | 陸軍大学校卒業(第31期首席) |
昭和8年12月23日 | 関東軍参謀 |
昭和9年12月26日 | 関東庁警務部警備課長 |
昭和10年8月1日 | 陸軍歩兵大佐・歩兵第4聯隊長 |
昭和12年3月1日 | 教育総監部第2課長 |
昭和13年7月15日 | 陸軍少将・中支那派遣軍参謀副長 |
昭和14年9月12日 | 支那派遣軍参謀副長 |
昭和14年12月1日 | 参謀本部附 |
昭和15年3月9日 | 参謀本部第3部長 |
昭和16年3月1日 | 陸軍中将 |
昭和16年9月15日 | 参謀本部附 |
昭和16年11月6日 | 第25軍参謀長 |
昭和17年10月7日 | 陸軍兵器本部附 |
昭和17年10月15日 | 陸軍兵器行政本部附 |
昭和18年4月8日 | 補陸軍運輸部長 補船舶司令官 |
昭和19年7月28日 | 補第35軍司令官(親補) |
昭和20年6月14日 | 戦死 任陸軍大将[1] |
栄典
大正2年2月20日 | 叙正八位[2] |
大正5年3月20日 | 叙従七位[3] |
昭和8年8月3日 | 勲四等瑞宝章[4] |
昭和10年9月16日 | 叙従五位[5] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[6] |
昭和16年9月15日 | 叙従四位 |
昭和16年12月9日 | 満州帝国建国神廟創建記念章 |
明治18年11月1日 | 叙正四位 勲一等瑞宝章 |
昭和20年6月14日 | 戦死 叙従三位(特旨) |
昭和44年9月27日 | 勲一等旭日大綬章 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第67号 昭和18年4月8日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120887000
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第150号 昭和19年8月1日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120915900
- ↑ 戦死認定日は6月14日だが、4月19日と伝わる。
- ↑ 官報第167号 大正2年2月21日(金曜日)
- ↑ 官報第1089号 大正5年3月22日(水曜日)
- ↑ 官報第1978号 昭和8年8月4日(金曜日)
- ↑ 官報第2622号 昭和10年9月27日(金曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)