安藤利吉
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- あんどう りきち
- 安藤利吉
- 陸軍大将正三位勲一等功二級
- 歩兵
- 士候16 陸大26優等
- 宮城県
- 明治17年4月3日 - 昭和21年4月19日自決
経歴
明治17年4月3日 | 生 |
明治37年10月24日 | 陸軍士官学校卒業(士候16) |
明治37年11月1日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治44年12月12日 | 陸軍大学校入学 |
大正3年11月27日 | 陸軍大学校卒業(第26期優等) |
大正14年8月7日 | 印度駐箚武官 |
昭和2年4月9日 | 参謀本部部員 |
昭和3年3月8日 | 陸軍歩兵大佐・歩兵第13聯隊長 |
昭和5年3月6日 | 第5師団参謀長 |
昭和6年3月11日 | 陸軍省軍務局兵務課長 |
昭和7年5月28日 | イギリス大使館附武官 |
昭和7年8月8日 | 陸軍少将 |
昭和9年5月7日 | 参謀本部附 |
昭和9年12月10日 | 歩兵第1旅団長 |
昭和10年8月1日 | 陸軍戸山学校長(~昭和11年3月23日[1]) |
昭和11年4月21日 | 第5独立守備隊司令官 |
昭和11年4月28日 | 陸軍中将 |
昭和12年8月2日 | 教育総監部本部長 |
昭和13年2月14日 | 教育総監事務取扱 |
昭和13年4月30日 | 教育総監事務取扱被免 |
昭和13年5月25日 | 第5師団長 |
昭和13年11月9日 | 第21軍司令官 |
昭和15年2月10日 | 南支那方面軍司令官 |
昭和15年10月5日 | 参謀本部附 |
昭和16年1月20日 | 予備役 |
昭和16年11月6日 | 台湾軍司令官 |
昭和19年1月7日 | 任陸軍大将(親任) |
昭和19年9月26日 | 補第10方面軍司令官(親補) |
昭和19年12月30日 | 任台湾総督(親任) |
昭和20年2月1日 | 兼補台湾軍管区司令官(親補) |
昭和21年4月19日 | 上海で自決 |
栄典
昭和11年6月1日 | 叙従四位[2] |
昭和12年7月7日 | 勲一等瑞宝章 |
昭和14年10月26日 | 勲一等旭日大綬章 |
昭和15年4月29日 | 功二級金鵄勲章 |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[3] |
昭和16年2月 | 従三位 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第5号 昭和19年1月11日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120900200
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第199号 昭和19年9月27日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120921300
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第24号 昭和20年2月1日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120932700
- 官報. 1945年01月04日
- ↑ 昭和11年3月23日三宅俊雄少将が陸軍戸山学校長就任。
- ↑ 官報第2823号 昭和11年6月2日(火曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)