森岡守成
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- もりおか もりしげ
- 森岡守成
- 陸軍大将正三位勲一等功三級
- 騎兵
- 士候2 陸大13優等
- 山口県
- 明治2年8月9日 - 昭和20年4月28日
経歴
明治2年8月9日 | 生 |
明治24年7月30日 | 陸軍士官学校卒業(士候2) |
明治25年3月21日 | 任陸軍騎兵少尉 |
明治29年12月 | 陸軍大学校入学 |
明治32年12月21日 | 陸軍大学校卒業(第13期優等) |
明治42年10月4日 | オーストリア公使館附武官 |
明治43年12月23日 | 陸軍騎兵大佐 |
明治44年10月2日 | 参謀本部附 |
明治44年11月22日 | 騎兵第16聯隊長[1] |
明治45年6月8日 | 補陸軍騎兵実施学校長[1] |
大正2年8月22日 | 参謀本部編制動員課長 |
大正5年3月31日 | 青島守備軍参謀長 |
大正5年5月2日 | 陸軍少将 |
大正7年7月24日 | 軍馬補充部本部長 |
大正8年3月18日 | 騎兵監 |
大正8年7月25日 | 陸軍中将 |
大正10年7月20日 | 補第12師団長(親補)[2] |
大正12年8月6日 | 近衛師団長(親補)[3] |
大正14年5月1日 | 軍事参議官(親補) |
大正15年3月2日 | 陸軍大将・朝鮮軍司令官(親補) |
昭和2年3月5日 | 軍事参議官(親補) |
昭和2年7月26日 | 待命 |
昭和2年9月1日 | 予備役 |
昭和10年4月1日 | 後備役 |
昭和14年4月1日 | 退役 |
昭和20年4月28日 | 薨去 |
栄典
明治25年7月6日 | 叙正八位 |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治30年12月15日 | 叙正七位 |
勲二等瑞宝章 功三級金鵄勲章 | |
大正1年8月1日 | 韓国併合記念章 |
大正7年3月28日 | 中華民国二等大綬嘉禾章佩用允許 |
大正8年9月10日 | 叙従四位 |
大正8年12月15日 | 戦捷記章[4] |
大正9年11月1日 | 勲二等旭日重光章 賜金1400円 大正三年乃至九年戦役従軍記章[5] |
大正10年9月30日 | 叙正四位 |
大正12年5月29日 | 勲一等瑞宝章 |
大正13年12月1日 | 叙従三位 |
昭和2年9月30日 | 叙正三位(特旨)[6] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[7] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第466号 大正3年2月19日(木曜日)
- 官報第2132号 大正8年9月11日(木曜日)
- 官報第3248号 大正12年5月30日(水曜日)
- 官報第2486号 昭和10年4月19日(金曜日)
- 官報第3739号 昭和14年6月24日(土曜日)
- ↑ 1.0 1.1 官報第8691号 明治45年6月10日(月曜日)
- ↑ 官報第2692号 大正10年7月21日(木曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に東京警備司令官代理とあるのは司令官菊池慎之助の出張に伴う短期間の代理。
- ↑ 官報第2903号 大正11年4月10日(月曜日)
- ↑ 官報第2612号 大正10年4月19日(火曜日)
- ↑ 官報第236号 昭和2年10月10日(月曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)