畑俊六
ナビゲーションに移動
検索に移動
- はた しゅんろく
- 畑 俊六
- 元帥陸軍大将従二位勲一等功一級
- 砲兵
- 士候12 砲工高12 陸大22首席
- 福島県
- 明治12年7月26日 - 昭和37年5月10日
経歴
明治12年7月26日 | 生 |
明治32年12月1日 | 陸軍士官学校入校 |
明治33年11月21日 | 陸軍士官学校卒業(士候12) |
明治33年11月26日 | 見習士官ヲ命ス |
明治34年6月25日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治39年12月21日 | 陸軍砲工学校高等科卒業(第12期) |
明治40年12月10日 | 陸軍大学校入学 |
明治43年11月29日 | 陸軍大学校卒業(第22期首席) |
大正3年7月10日 | 任陸軍砲兵少佐 |
大正7年7月24日 | 任陸軍砲兵中佐 |
大正8年12月25日 | 参謀本部作戦課作戦班長 |
大正10年7月20日 | 任陸軍砲兵大佐・野砲兵第16聯隊長 |
大正11年8月15日 | 補陸軍野戦砲兵学校教導聯隊長兼同校教官同校研究部部員 |
大正12年8月6日 | 参謀本部作戦課長 |
大正15年3月2日 | 陸軍少将・野戦重砲兵第4旅団長 |
昭和2年7月26日 | 参謀本部第4部長 |
昭和3年8月10日 | 参謀本部第1部長 |
昭和6年8月1日 | 陸軍中将・砲兵監 |
昭和8年8月1日 | 補第14師団長(親補) |
昭和10年12月2日 | 補陸軍航空本部長 |
昭和11年8月1日 | 補台湾軍司令官(親補) |
昭和12年8月2日 | 補軍事参議官(親補) |
昭和12年11月1日 | 陸軍大将 |
昭和12年8月26日 | 補教育総監兼軍事参議官(親補) |
昭和13年2月14日 | 中支那派遣軍司令官 |
昭和13年12月15日 | 軍事参議官 |
昭和14年5月25日 | 侍従武官長 |
昭和14年8月30日 | 任陸軍大臣兼対満事務局総裁[1] |
昭和15年7月22日 | 軍事参議官 |
昭和16年3月1日 | 支那派遣軍総司令官 |
昭和19年6月2日 | 元帥 |
昭和19年11月22日 | 補教育総監(親補)[2] |
昭和20年4月7日 | 補第2総軍司令官(親補)[3] |
昭和20年10月15日 | 免本職 |
昭和37年5月10日 | 死去 |
栄典
明治34年10月10日 | 叙正八位[4] |
明治37年2月19日 | 叙従七位[5] |
明治38年8月11日 | 叙正七位[6] |
明治39年4月1日 | 功五級金鵄勲章 勲六等単光旭日章 明治三十七八年従軍記章 |
明治43年9月30日 | 叙従六位[7] |
大正2年5月31日 | 勲五等瑞宝章[8] |
大正4年10月30日 | 叙正六位[9] |
大正4年11月7日 | 勲四等旭日小綬章 大正三四年従軍記章 |
大正9年9月7日 | 勲三等旭日中綬章 賜金2300円 (対独平和条約締結並ニ大正四年乃至九年戦役ノ功)[10] 大正三年乃至九年戦役従軍記章[11] |
大正9年11月30日 | 叙従五位[12] |
大正14年12月28日 | 叙正五位[13] |
昭和5年 | 勲二等瑞宝章 |
昭和6年1月16日 | 叙従四位[14] |
昭和8年9月1日 | 叙正四位[15] |
昭和9年3月1日 | 満洲国建国功労章佩用允許[16] |
昭和9年4月29日 | 勲一等旭日大綬章 昭和六年乃至九年事変従軍記章 |
昭和11年10月1日 | 叙従三位[17] |
昭和14年9月1日 | 叙正三位[18] |
昭和15年4月29日 | 功一級金鵄勲章 支那事変従軍記章 |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[19] |
昭和18年7月 | 中華民国特級同光勲章 |
昭和19年6月2日 | 元帥 |
昭和19年6月15日 | 叙従二位 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正14年9月1日調
- 官報第3013号 大正11年8月16日(水曜日)
- 官報第1976号 昭和8年8月2日(水曜日)
- 官報第2676号 昭和10年12月3日(火曜日)
- 官報第2876号 昭和11年8月3日(月曜日)
- 官報第3175号 昭和12年8月3日(火曜日)
- 官報. 1937年08月27日
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第243号 昭和19年11月24日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120925900
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第83号 昭和20年4月8日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120939300
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第3号 昭和20年10月20日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120947900
- ↑ 官報号外 昭和14年8月30日(水曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に11月23日とあるのは誤り。
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に4月6日とあるのは誤り。
- ↑ 官報第5484号 明治34年10月11日(金曜日)
- ↑ 官報第6188号 明治37年2月20日(土曜日)
- ↑ 官報第6640号 明治38年8月17日(木曜日)
- ↑ 官報第8185号 明治43年10月1日(土曜日)
- ↑ 官報第251号 大正2年6月2日(月曜日)
- ↑ 官報第976号 大正4年11月1日(月曜日)
- ↑ 官報第2431号 大正9年9月8日(水曜日)
- ↑ 官報第2648号 大正10年5月31日(火曜日)
- ↑ 官報第2500号 大正9年12月1日(水曜日)
- ↑ 官報第4045号 大正15年2月20日(土曜日)
- ↑ 官報第1225号 昭和6年1月31日(土曜日)
- ↑ 官報第2007号 昭和8年9月7日(木曜日)
- ↑ 官報第2413号 昭和10年1月21日(月曜日)
- ↑ 官報第2928号 昭和11年10月3日(土曜日)
- ↑ 官報第3905号 昭和15年1月16日(火曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)