竹下義晴
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- たけした よしはる
- 竹下義晴
- 陸軍中将勲一等功三級
- 歩兵
- 士候23 陸大33
- 広島県
- 明治24年4月9日 - 昭和54年2月7日
経歴
明治24年4月9日 | 生 |
明治44年5月27日 | 陸軍士官学校卒業(士候23) |
明治44年12月26日 | 任陸軍歩兵少尉 |
大正7年12月11日 | 陸軍大学校入学 |
大正10年11月28日 | 陸軍大学校卒業(第33期) |
昭和6年8月1日 | 陸軍歩兵中佐 |
昭和6年10月5日 | 関東軍参謀 |
昭和7年8月8日 | ハルピン駐在 |
昭和9年3月5日 | 陸軍士官学校附 |
昭和10年8月1日 | 陸軍歩兵大佐・山海関特務機関長 |
昭和11年4月13日 | 関東軍参謀(第3課長) |
昭和12年10月13日 | 歩兵第45聯隊長 |
昭和13年7月15日 | 陸軍少将・上海特務機関長 |
昭和14年7月4日 | 第13軍司令部附(上海駐在) |
昭和15年3月9日 | 興亜院蒙疆連絡部長官 |
昭和16年3月1日 | 陸軍中将 |
昭和16年12月8日 | 満洲国軍政部最高顧問 |
昭和17年11月9日 | 第27師団長 |
昭和19年5月30日 | 補参謀本部附 |
昭和19年6月22日 | 補支那派遣軍総司令部附 |
昭和19年8月25日 | 補第6方面軍司令部附 |
昭和19年9月26日 | 補東部軍司令部附 |
昭和19年12月1日 | 待命被仰付 |
昭和19年12月2日 | 予備役被仰付 |
昭和20年1月12日 | 補留守第30師団長 |
昭和20年4月1日 | 補平壌師管区司令官(親補) |
栄典
功四級金鵄勲章 | |
昭和9年2月7日 | 勲三等瑞宝章[1] |
昭和14年4月13日 | 勲二等瑞宝章[2] |
功三級金鵄勲章 | |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[3] |
昭和18年1月15日 | 勲一等瑞宝章 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 「JACAR(アジア歴史資料センター),第105号 昭和19年6月3日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120910800
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第119号 昭和19年6月24日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120912200
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第176号 昭和19年8月26日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120918500
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第199号 昭和19年9月27日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120921300
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第252号 昭和19年12月2日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120926900
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第254号 昭和19年12月3日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120927100
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第6号 昭和20年1月13日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120930700
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第75号 昭和20年4月1日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120938500