西尾壽造
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- にしお としぞう
- 西尾壽造
- 陸軍大将正三位勲一等功一級
- 歩兵
- 士候14 陸大22優等
- 島根県士族
- 明治14年10月31日 - 昭和35年10月26日
経歴
明治14年10月31日 | 生[3] |
明治35年11月22日 | 陸軍士官学校卒業(士候14) |
明治36年6月26日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治40年12月10日 | 陸軍大学校入学 |
明治43年11月29日 | 陸軍大学校卒業(第22期優等) |
大正5年11月15日 | 任陸軍歩兵少佐[4][5] |
陸軍大学校兵学教官兼参謀本部部員[6] | |
大正8年4月15日 | 補陸軍省副官兼陸軍大臣秘書官[6] |
大正9年8月10日 | 任陸軍歩兵中佐[4][5] |
大正10年9月7日 | 歩兵第10聯隊附 |
大正12年4月1日 | 陸軍大学校兵学教官 |
大正12年8月6日 | 任陸軍歩兵大佐[5] |
大正14年3月18日 | 歩兵第40聯隊長 |
大正15年3月2日 | 教育総監部第1課長 |
昭和4年8月1日 | 任陸軍少将[3]・歩兵第39旅団長 |
昭和5年8月1日 | 軍事調査委員長 |
昭和7年4月11日 | 参謀本部第4部長 |
昭和8年8月1日 | 任陸軍中将[3] |
昭和9年3月5日 | 関東軍参謀長兼関東軍特務部長 |
昭和11年3月23日 | 参謀次長 |
昭和11年12月1日 | 参謀本部総務部長事務取扱 |
昭和12年3月1日 | 近衛師団長 |
昭和12年8月26日 | 第2軍司令官 |
昭和13年4月30日 | 教育総監 |
昭和14年8月1日 | 陸軍大将 |
昭和14年9月12日 | 支那派遣軍総司令官 |
昭和14年9月23日 | 兼第13軍司令官 |
昭和14年10月26日 | 免兼職 |
昭和16年3月1日 | 軍事参議官 |
昭和18年5月1日 | 待命 |
昭和18年5月3日 | 予備役 |
昭和19年7月25日 | 東京都長官 |
昭和20年6月10日 | 関東信越地方総監兼東京都長官 |
昭和20年8月23日 | 依願免本官並兼官[7] |
昭和35年10月26日 | 薨去 |
栄典
明治36年10月20日 | 叙正八位 |
明治38年3月10日 | 叙従七位 |
明治43年2月21日 | 叙正七位 |
大正2年5月31日 | 勲五等瑞宝章 |
大正4年3月20日 | 叙従六位 |
大正9年4月10日 | 叙正六位 |
大正9年時点 | 勲四等瑞宝章 勲六等単光旭日章 功五級金鵄勲章[4] |
大正12年9月30日 | 勲三等瑞宝章[8] |
大正12年11月30日 | 叙従五位 |
昭和2年時点 | 勲四等旭日小綬章 中華民国四等文虎勲章[5] |
昭和3年12月28日 | 叙正五位 |
昭和8年8月28日 | 勲二等瑞宝章[9] |
昭和8年9月1日 | 叙従四位[10] |
昭和9年4月29日 | 勲一等旭日大綬章 昭和六年乃至九年事変従軍記章 |
昭和9年5月9日 | 満洲国勲一位景雲章佩用允許[11] |
昭和10年時点 | 勲二等瑞宝章[3] |
昭和12年4月1日 | 叙正四位 |
昭和14年8月15日 | 叙従三位[12] |
昭和15年4月29日 | 功一級金鵄勲章 支那事変従軍記章 |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[13] |
昭和18年4月15日 | 叙正三位 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第6092号 明治36年10月21日(水曜日)
- 官報第6513号 明治38年3月20日(月曜日)
- 官報第7998号 明治43年2月23日(水曜日)
- 官報第251号 大正2年6月2日(月曜日)
- 官報第789号 大正4年3月23日(火曜日)
- 官報第2305号 大正9年4月12日(月曜日)
- 官報第3385号 大正12年12月4日(火曜日)
- 官報第624号 昭和4年1月30日(水曜日)
- 官報第3073号 昭和12年4月2日(金曜日)
- ↑ 1.0 1.1 歴史が眠る多磨霊園 - 西尾寿造
- ↑ 木村益三を陸軍少将木村益三(士候6期)としているところがあるが、おそらく士官候補生第39期の木村益三か。両名とも兵庫県出身。
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和10年9月1日調
- ↑ 4.0 4.1 4.2 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正9年9月1日調
- ↑ 5.0 5.1 5.2 5.3 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和2年9月1日調
- ↑ 6.0 6.1 官報第2008号 大正8年4月16日(水曜日)
- ↑ 官報第5587号 昭和20年8月27日(月曜日)
- ↑ 官報第3354号 大正12年10月26日(金曜日)
- ↑ 官報第2005号 昭和8年9月5日(火曜日)
- ↑ 官報第2007号 昭和8年9月7日(木曜日)
- ↑ 官報第2800号 昭和11年5月6日(水曜日)
- ↑ 官報第3857号 昭和14年11月13日(月曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)