藤田進
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- ふじた すすむ
- 藤田 進
- 陸軍中将従三位勲一等功二級
- 歩兵
- 士候16 陸大25
- 石川県
- 明治17年12月11日 - 昭和34年2月7日
経歴
明治17年12月11日 | 生 |
明治37年10月24日 | 陸軍士官学校卒業(士候16) |
明治37年11月1日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治43年12月12日 | 陸軍大学校入学 |
大正2年11月26日 | 陸軍大学校卒業(第25期) |
大正13年8月20日 | 任陸軍歩兵中佐 |
大正14年5月1日 | 陸軍歩兵学校教官 |
昭和3年3月8日 | 任陸軍歩兵大佐・歩兵第15聯隊長 |
昭和4年8月1日 | 第19師団参謀長 |
昭和7年12月7日 | 陸軍少将・歩兵第32旅団長 |
昭和9年3月5日 | 陸軍兵器本廠附 |
昭和9年4月21日 | 独立混成第1旅団長 |
昭和11年3月7日 | 陸軍歩兵学校長 |
昭和11年8月1日 | 陸軍中将 |
昭和12年8月2日 | 第3師団長 |
昭和14年10月14日 | 参謀本部附 |
昭和14年10月26日 | 第13軍司令官 |
昭和15年12月2日 | 参謀本部附 |
昭和16年1月20日 | 待命 |
昭和16年1月31日 | 予備役 |
昭和20年3月20日 | 補陸軍兵器行政本部附[1] |
昭和20年4月1日 | 補金沢師管区司令官(親補)[2] |
昭和34年2月7日 | 死去 |
栄典
明治37年12月8日 | 叙正八位[3] |
明治41年3月20日 | 叙従七位[4] |
大正2年5月20日 | 叙正七位[5] |
大正7年7月10日 | 叙従六位[6] |
大正12年11月13日 | 叙正六位[7] |
大正13年10月24日 | 勲三等瑞宝章 |
昭和3年4月16日 | 叙従五位[8] |
昭和7年10月1日 | 朝鮮昭和五年国勢調査記念章 |
昭和7年12月28日 | 叙正五位[9] |
昭和9年10月6日 | 勲二等瑞宝章[10] |
昭和11年7月10日 | 旭日重光章 昭和六年乃至九年事変従軍記章[11] |
昭和11年9月15日 | 叙従四位[12] |
昭和13年8月13日 | 勲一等瑞宝章[13] |
昭和13年10月1日 | 叙正四位[14] |
昭和15年7月13日 | 旭日大綬章[15] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[16] |
昭和16年2月 | 従三位(特旨) |
功二級金鵄勲章 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第3653号 大正13年10月25日(土曜日)
- 官報第1900号 昭和8年5月5日(金曜日)
- ↑ 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第68号 昭和20年3月26日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120937200
- ↑ 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第75号 昭和20年4月1日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120938500
- ↑ 官報第6441号 明治37年12月17日(土曜日)
- ↑ 官報第7418号 明治41年3月23日(月曜日)
- ↑ 官報第241号 大正2年5月21日(水曜日)
- ↑ 官報第1782号 大正7年7月11日(木曜日)
- ↑ 官報第3386号 大正12年12月5日(水曜日)
- ↑ 官報第432号 昭和3年6月7日(木曜日)
- ↑ 官報第1801号 昭和7年12月29日(木曜日)
- ↑ 官報第2609号 昭和10年9月11日(水曜日)
- ↑ 官報第3329号 昭和13年2月9日(水曜日)
- ↑ 官報第2919号 昭和11年9月22日(火曜日)
- ↑ 官報第3487号 昭和13年8月17日(水曜日)
- ↑ 官報第3541号 昭和13年10月22日(土曜日)
- ↑ 官報第4057号 昭和15年7月16日(火曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)