広島第1陸軍病院
(広島陸軍病院から転送)
広島第1陸軍病院(廣島第一陸軍病院)は、広島県広島市に設けられた陸軍病院。明治4年鎮西鎮台の鎮台病院として設置され、明治6年広島鎮台病院に改称。明治21年11月広島衛戍病院に改称。昭和11年11月10日広島陸軍病院に改称。昭和20年5月10日広島第1陸軍病院に改称し、広島第2陸軍病院を新編、大野分院を大野陸軍病院に改編。広島第1陸軍病院は昭和20年12月1日厚生省に移管され国立広島病院に改称。
陸軍病院長
氏名 | 就任 | 退任 | 次職 | 備考 |
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広島陸軍予備病院長 | ||||
草刈義哉 一軍正 | 明治29年3月19日 | 第5師団軍医部長 | ||
(兼)武谷水城 一軍正 | 明治29年3月19日 | 広島衛戍病院長の兼勤 | ||
梶井 恒 二軍正 | 明治31年時点 | 明治31年10月1日 | 第7師団軍医部長 | |
前田政四郎 二軍正 | 明治31年10月1日 | 明治32年3月31日 | 広島衛戍病院長 | |
広島衛戍病院長 | ||||
武谷水城 一軍正 | 明治29年時点 | 広島陸軍予備病院長を兼ねる | ||
清田哲二 二軍正 | 明治32年3月31日 | 熊本衛戍病院長 | ||
前田政四郎 二軍正 | 明治32年3月31日 | 明治32年6月8日 | 第5師団軍医部長 | |
松本三郎 三軍正 | 明治32年6月8日 | 明治33年2月28日 | 姫路衛戍病院長 | 明治32年6月8日心得 明治32年12月25日陸軍二等軍医正進級 |
菅野 順 二軍正 | 明治33年2月28日 | 明治33年4月1日 | 休職 | |
笠島省吾 二軍正 | 明治33年4月1日 | 明治35年3月14日 | 名古屋衛戍病院長 | |
(心)芳賀榮次郎 三軍正 | 明治35年3月14日 | 明治35年11月15日 | 陸軍二等軍医正・広島衛戍病院長 | |
芳賀榮次郎 二軍正 | 明治35年11月15日 | 明治37年7月5日 | 第5師団軍医部長 | |
宇木碩太郎 一軍正 | 明治41年6月6日 | 明治43年3月5日 | 第12師団軍医部長 | |
野口詮太郎 二軍正 | 明治43年3月8日 | 明治44年8月30日 | 第13師団軍医部長 | |
篠尾明濟 二軍正 | 明治44年8月30日 | 大正2年8月7日 | 陸軍一等軍医正・第7師団軍医部長 | |
齋藤雄助 二軍正 | 大正2年8月7日 | 大正6年5月2日 | 第17師団軍医部長 | |
木村辰次 一軍正 | 大正6年5月2日 | 大正7年6月1日 | 台湾総督府陸軍軍医部長 | |
鳥居百三 二軍正 | 大正7年6月1日 | 大正9年8月10日 | 第20師団軍医部長 | 大正8年4月1日陸軍一等軍医正進級 |
荒木榮三郎 一軍正 | 大正9年8月10日 | 大正12年8月6日 | 第9師団軍医部長 | |
室谷脩太郎 軍医監 | 大正12年8月6日 | 大正14年5月1日 | 第5師団軍医部長 | |
石川清人 軍医監 | 大正14年5月1日 | 昭和3年3月8日 | 第5師団軍医部長 | |
外垣秀重 軍医監 | 昭和3年3月8日 | 昭和3年8月10日 | 第5師団軍医部長 | |
國友 國 一軍正 | 昭和3年8月10日 | 昭和5年8月1日 | 待命 昭和5年8月29日予備役 |
昭和4年8月1日陸軍軍医監進級 |
山本幹雄 軍医監 | 昭和5年8月1日 | 昭和7年8月8日 | 待命 昭和7年8月30日予備役 |
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法貴六郎 軍医監 | 昭和7年8月8日 | 昭和7年12月7日 | 第5師団軍医部長 | |
陶山吉喬 軍医監 | 昭和7年12月7日 | 昭和10年8月1日 | 待命 昭和10年8月28日予備役 |
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米澤末治 軍医監 | 昭和10年8月1日 | 昭和11年8月1日 | 待命 昭和11年8月29日予備役 |
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武内三千春 軍医監 | 昭和11年8月1日 | |||
小宮山友則 軍少将 | 昭和13年7月15日 | 昭和14年12月1日 | 第4軍軍医部長 | |
中嶌晴彦 軍大佐 | 昭和14年12月1日 | 昭和16年11月13日 | 第16軍軍医部長 | 昭和15年8月1日陸軍軍医少将進級 |
杉野耕平 軍大佐 | 昭和16年11月6日 | 昭和18年3月1日 | 第16軍軍医部長 | |
元吉慶四郎 軍少将 | 昭和19年6月22日 | 昭和20年5月10日 | 広島第1陸軍病院長 | |
広島第1陸軍病院長 | ||||
元吉慶四郎 軍少将 | 昭和20年5月10日 | ○ |
附
氏名 | 就任 | 退任 | 次職 | 備考 |
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早川於都造 二軍正 | 大正5年5月2日 | 大正5年12月20日 | 岡山衛戍病院長 | |
小山憲佐 三軍正 | 大正7年6月1日 | |||
窪野 示 二軍正 | 大正10年2月12日 | 大正10年7月20日 | 第1師団軍医部部員 | |
廣辻三千太郎 二軍正 | 大正10年7月20日 | |||
堀口正文 二軍正 | 大正12年3月17日 | 岡山衛戍病院長 | ||
氏家參顯 二軍正 | 大正12年時点 | 大正14年8月7日 | 東京第2衛戍病院長 | 大正13年8月20日陸軍一等軍医正進級 |
外垣秀重 一軍正 | 大正14年5月1日 | 大正14年12月2日 | 第8師団軍医部長 | |
奥宮松枝 一軍正 | 昭和2年12月16日 | 昭和3年12月21日 | 熊本衛戍病院長 | |
松野繁隆 二軍正 | 昭和3年12月21日 | 昭和5年8月1日 | 龍山衛戍病院長 | 昭和4年3月16日陸軍一等軍医正進級 |
越川 彰 一軍正 | 昭和4年8月1日 | 昭和5年8月1日 | 熊本衛戍病院長 | |
米澤末治 一軍正 | 昭和5年8月1日 | 昭和6年8月1日 | 台北衛戍病院長 | |
村上猪柳 一軍正 | 昭和6年8月1日 | 昭和8年3月18日 | 仙台衛戍病院長 | |
滝川竹四 二軍正 | 昭和8年3月18日 | 昭和9年4月1日 | 福知山衛戍病院長 兼歩兵第20聯隊附 |
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河西郡三 二軍正 | 昭和9年4月1日 | 昭和11年4月1日 | 金沢衛戍病院長 | 昭和10年3月15日陸軍一等軍医正進級 |
廣津 格 軍少佐 | 昭和19年1月4日 | 第135兵站病院長 | ||
横山良郷 軍中佐 | 昭和19年3月1日 | 待命 昭和19年3月2日予備役 |
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今田 泰 軍中佐 | 昭和19年4月15日 | 釜山陸軍病院長 | ||
品川安彦 軍少佐 | 昭和19年4月20日 | 歩兵第11聯隊補充隊附 | ||
伊丹慶人 軍少佐 | 昭和19年7月10日 | 陸軍軍医学校附 | ||
笠 豊治 軍少佐 | 昭和19年7月10日 | 陸軍軍医学校附 | ||
恒松暢之助 軍少佐 | 昭和19年8月5日 | 宮古島陸軍病院長 | ||
和田利雄 薬中佐 | 昭和19年12月21日 | 陸軍衛生材料本廠廠員 | 留守第5師団軍医部部員を兼ねる | |
岡江久義 軍中佐 | 昭和19年3月1日 | 昭和19年10月9日 | 第1方面軍軍医部部員 | |
木谷祐寬 予軍中佐 | 昭和19年3月1日 | 昭和20年5月11日 | 広島第2陸軍病院長 | 昭和20年4月20日陸軍軍医大佐進級 |
吉田 一 軍少佐 | 昭和19年3月20日 | |||
斯林可兒雄 予軍大佐 | 昭和19年4月15日 | 昭和20年5月11日 | 大野陸軍病院長 | |
鈴木時定 軍中佐 | 昭和19年7月29日 | |||
河野通之 薬大佐 | 昭和19年12月21日 | 留守第5師団軍医部部員を兼ねる | ||
今田幸雄 軍少佐 | 昭和20年10月10日 | |||
中内重雄 軍少佐 | 昭和20年11月5日 | 昭和20年11月27日 | 広島第2陸軍病院附 | |
原野廣生 軍大佐 | 昭和20年11月29日 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和4年9月1日調
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和7年9月1日調
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和11年9月1日調
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第38号 昭和19年3月1日 陸軍異動通報 (防衛省防衛研究所)」Ref.C12120903800
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第71号 昭和19年4月15日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120907200
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第119号 昭和19年6月24日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120912200
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第113号 昭和20年5月15日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120942400
- 官報第3824号 明治29年4月1日(水曜日)