ドイツ駐在武官
(独国在勤帝国大使館附武官輔佐官から転送)
大使館附武官
氏名 | 就任 | 退任 | 次職 | 備考 |
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桂 太郎 少佐 | 明治8年3月30日 | 明治11年7月31日 | 参謀局諜報提理 | |
大迫尚道 中佐 | 明治24年12月15日 | 明治26年7月22日 | 陸軍大学校教官 | |
落合豊三郎 中佐 | 明治26年7月22日 | 明治27年11月2日 | 第2軍参謀 | |
小原 傳 中佐 | 明治30年6月29日 | 明治32年6月8日 | 陸軍大学校教官 | |
松川敏胤 中佐 | 明治32年6月8日 | 明治35年5月5日 | 参謀本部第1部長 兼東部都督部参謀長 |
明治34年11月3日陸軍大佐進級 |
大井菊太郎 少佐 | 明治35年5月2日 | 明治39年2月3日 | 参謀本部附 | 明治36年2月25日陸軍中佐進級 明治38年3月1日陸軍大佐進級 |
明石元二郎 大佐 | 明治39年2月3日 | 明治39年12月27日 | 歩兵第7聯隊長 | |
山梨半造 中佐 | 明治40年1月12日 | 明治41年11月10日 | 陸軍大学校幹事 | 明治40年11月13日陸軍大佐進級 |
尾野實信 大佐 | 明治41年11月10日 | 明治43年10月1日 | 第1師団司令部附 | |
田村沖之甫 大佐 | 明治43年10月1日 | 大正2年2月24日 | 陸軍省軍務局砲兵課長 | |
河村正彦 大佐 | 大正2年2月24日 | 大正3年8月23日 | 参謀本部附 | |
香椎浩平 中佐 | 大正10年2月8日 | 大正13年10月14日 | 参謀本部附 | 大正10年7月20日陸軍大佐進級 |
渡邊良三 大佐 | 大正13年10月14日 | 昭和2年3月5日 | 陸軍野戦砲兵学校附被仰付 | 大正15年3月2日陸軍少将進級 |
大村有隣 少将 | 昭和2年3月5日 | 昭和4年8月1日 | 陸軍中将・由良要塞司令官 | |
河邊正三 中佐 | 昭和4年8月1日 | 昭和7年2月6日 | 参謀本部附 | 昭和6年8月1日陸軍大佐進級 |
坂西一良 中佐 | 昭和7年2月6日 | 昭和9年3月5日 | 陸軍兵器本廠附 | |
大島 浩 大佐 | 昭和9年3月5日 | 昭和13年10月8日 | 予備役 駐独大使 |
昭和10年3月15日陸軍少将進級 昭和13年3月1日陸軍中将進級 |
河邊虎四郎 少将 | 昭和13年10月8日 | 昭和14年12月1日 | 参謀本部附 | |
岡本清福 大佐 | 昭和14年12月1日 | 昭和15年11月13日 | 参謀本部附 | 昭和15年8月1日陸軍少将進級 |
坂西一良 少将 | 昭和15年11月13日 | 昭和18年1月18日 | 参謀本部附 | 昭和16年3月1日陸軍中将進級 |
小松光彦 少将 | 昭和18年1月18日 | 昭和21年1月14日 | 免本職並兼職 | スロバキア駐在武官を兼ねる 昭和20年3月1日陸軍中将進級 |
大使館附武官輔佐官
氏名 | 就任 | 退任 | 次職 | 備考 |
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渡邊錠太郎 少佐 | 明治42年5月 | 明治43年6月 | 参謀本部部員 | |
石本寅三 少佐 | 昭和2年10月28日 | 昭和4年8月1日 | 陸軍兵器本廠附 | |
(兼)飯島正義 中佐 | 昭和13年6月30日 | 陸軍航空本部独国駐在官の兼勤 | ||
木原友二 中佐 | 昭和14年3月9日 | 昭和18年5月14日 | 戦死・任陸軍少将 | 陸軍大佐進級 |
穐田弘志 中佐 | 昭和15年4月6日 | 昭和16年3月14日 | 参謀本部欧米課ドイツ班長 兼陸軍大学校兵学教官 |
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西 久 中佐 | 昭和16年2月1日 | ○ | 昭和20年6月10日陸軍大佐進級 | |
小松光彦 大佐 | 昭和16年2月2日 | 昭和18年1月18日 | ドイツ大使館附武官 | 昭和16年10月15日陸軍少将進級 |
門岡幸雄 中佐 | 昭和18年11月18日 | ○ | 昭和20年6月10日陸軍大佐進級 | |
甲谷悦雄 大佐 | 昭和19年11月16日 | ○ | 大本営陸軍部附を併任 |
陸軍技術本部独国駐在官
氏名 | 就任 | 退任 | 次職 | 備考 |
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(兼)河邊正三 中佐 | 昭和5年6月3日 | 昭和7年2月6日 | 参謀本部附 | ドイツ大使館附武官の兼勤 |
多田與一 中佐 | 昭和10年8月1日 | 昭和13年7月15日 | 陸軍大佐・陸軍技術本部部員 | |
畑尾正央 大尉 | 昭和11年8月31日 | 昭和14年8月1日 | 陸軍科学研究所所員 | 昭和12年8月2日陸軍少佐進級 昭和14年3月9日[[陸軍中佐]進級 |
陸軍兵器行政本部独国駐在官
- 陸軍兵器本部独国駐在官を経て陸軍兵器行政本部独国駐在官
氏名 | 就任 | 退任 | 次職 | 備考 |
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大谷 修 大佐 | 昭和15年11月2日 | ○ | 昭和17年8月1日陸軍少将進級 昭和20年4月30日陸軍中将進級 | |
(兼)木越安一 技少佐 | 昭和19年12月20日 | 大本営陸軍部附 兼陸軍兵器行政本部瑞典国駐在官 |
大本営陸軍部附の兼勤 | |
伊藤清一 大佐 | 昭和19年5月27日 | 大本営陸軍部附を併任 |
陸軍航空本部独国駐在官
氏名 | 就任 | 退任 | 次職 | 備考 |
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(兼)河邊正三 中佐 | 昭和5年6月3日 | 昭和7年2月6日 | 参謀本部附 | ドイツ大使館附武官の兼勤 |
仁井辰造 少佐 | 昭和11年8月1日 | |||
飯島正義 中佐 | 昭和13年6月30日 | 大使館附武官輔佐官を兼ねる | ||
(兼)門岡幸雄 中佐 | 昭和19年5月26日 | ドイツ大使館附武官輔佐官の兼勤 |
独国駐在
氏名 | 就任 | 退任 | 次職 | 備考 |
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山口弘夫 一軍医 | 明治36年3月16日 | 明治40年12月27日 | 東京第1衛戍病院附 | 明治37年12月10日陸軍三等軍医正進級 |
河合 操 中佐 | 明治39年2月10日 | 明治40年2月10日 | 陸軍大学校兵学教官 | 陸軍省軍務局附 |
渡邊行三 三主正 | 明治45年時点 | 陸軍省軍務局附 | ||
岩崎小四郎 三軍正 | 明治45年時点 | 陸軍省軍務局附 | ||
寺内壽一 少佐 | 大正3年時点 | |||
白倉司馬太 大尉 | 大正14年6月18日 | 昭和3年3月24日 | 陸軍造兵廠火工廠廠員 | 陸軍省軍務局附 英国駐在を兼ねる 大正14年12月2日陸軍少佐進級 |
高橋重三 少佐 | 大正15年5月15日 | 昭和2年10月28日 | 陸軍省軍務局附 | |
石本寅三 少佐 | 大正15年5月15日 | 昭和4年8月1日 | ドイツ大使館附武官輔佐官 | 陸軍省軍務局附 |
満井佐吉 少佐 | 昭和4年11月25日 | 昭和7年8月8日 | 歩兵第48聯隊大隊長 | |
中橋桂次郎 少佐 | 昭和9年12月27日 | 陸軍省軍務局附 | ||
二宮義清 中佐 | 昭和14年3月9日 | 昭和15年9月30日 | 陸軍省軍務局軍務課外交班長 | 参謀本部附 ソ聯駐在・波蘭駐在 |
西 久 少佐 | 昭和14年12月21日 | 昭和16年2月1日 | ドイツ大使館附武官輔佐官 | |
榊原主計 中佐 | 昭和15年12月19日 | 昭和17年12月22日 | 陸軍予科士官学校生徒隊長 | 参謀本部附 独・伊・ソ聯駐在 昭和17年8月1日陸軍大佐進級 |
清水武男 中佐 | 昭和16年1月16日 | 昭和19年3月16日 | ブルガリア公使館附武官 | フィンランド駐在を兼ねる |
大賀時雄 少佐 | 昭和16年3月25日 | 昭和16年7月31日 | 防衛参謀 | イタリア駐在を兼ねる |
權藤正威 大佐 | 昭和18年6月4日 | 昭和18年6月26日 | 戦死・任陸軍少将 | |
伊藤清一 大佐 | 昭和19年5月27日 | 陸軍兵器行政本部独国駐在官 | 伊国駐在を兼ねる 大本営陸軍部附を併任 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報. 1930年06月04日