臨時東京第1陸軍病院
(東京第1衛戍病院御用掛から転送)
明治39年東京第1衛戍病院として開設。昭和11年東京第1陸軍病院に改称、臨時東京第1陸軍病院を経て昭和20年12月1日厚生省に移管され国立東京第一病院となる。
陸軍病院長
氏名 | 就任 | 退任 | 次職 | 備考 |
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東京衛戍病院長 | ||||
石坂篤保 二軍正 | 明治21年12月1日 | 明治24年6月12日 | 第2師団軍医長 | |
西郷吉義 一軍正 | 明治31年10月1日 | 明治34年3月9日 | 近衛師団軍医部長 | |
東京第1衛戍病院長 | ||||
平井政遒 二軍正 | 明治36年6月25日 | 明治39年7月11日 | 日本赤十字社病院副院長 | 明治38年3月4日陸軍一等軍医正進級 |
鶴田禎次郎 一軍正 | 明治40年1月21日 | 明治42年7月14日 | 日本赤十字社病院副院長 | 陸軍軍医学校教官を兼ねる |
山口弘夫 二軍正 | 明治42年7月14日 | 明治44年11月14日 | 関東都督府医院長 | 陸軍軍医学校教官を兼ねる |
本堂恆次郎 一軍正 | 明治44年11月14日 | 大正1年9月28日 | 陸軍軍医学校長 | |
川島慶治 一軍正 | 大正1年9月28日 | 大正5年11月15日 | 陸軍軍医監・近衛師団軍医部長 | 陸軍軍医学校教官を兼ねる |
岩田 一 一軍正 | 大正5年11月15日 | 大正7年12月17日 | 陸軍軍医監・関東都督府軍医部長 | 陸軍軍医学校教官を兼ねる |
秋山練造 一軍正 | 大正7年12月17日 | 大正9年4月9日 | 陸軍軍医監・第12師団軍医部長 | 陸軍軍医学校教官を兼ねる |
岩崎小四郎 一軍正 | 大正9年4月9日 | 大正9年12月27日 | 陸軍軍医学校教官 | 陸軍軍医学校教官を兼ねる |
大沼良三 一軍正 | 大正9年12月27日 | 大正11年8月15日 | 第15師団軍医部長 | |
鳥居百三 一軍正 | 大正11年8月15日 | 大正13年12月15日 | 第1師団軍医部長 | 大正12年8月6日陸軍軍医監進級 |
合田 平 一軍正 | 大正13年12月15日 | 昭和3年3月8日 | 陸軍軍医学校長 | 大正14年3月18日陸軍軍医監進級 |
伊藤賢三 一軍正 | 昭和3年3月8日 | 昭和6年8月1日 | 関東軍軍医部長 | 昭和3年8月10日陸軍軍医監進級 |
小池正晁 軍医監 | 昭和6年8月1日 | 昭和7年8月8日 | 第1師団軍医部長 | |
梶井貞吉 軍医監 | 昭和7年8月8日 | 昭和9年3月5日 | 関東軍軍医部長 | |
田邊文四郎 軍医監 | 昭和9年3月5日 | 昭和11年3月7日 | 第1師団軍医部長 | |
越川 彰 軍医監 | 昭和11年3月7日 | 昭和13年3月1日 | 陸軍軍医中将・待命 昭和13年3月31日予備役 |
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臨時東京第1陸軍病院長 | ||||
山本順市 軍中将 | 昭和14年8月1日 | 昭和14年12月1日 | 朝鮮軍軍医部長 | |
名和克己 軍少将 | 昭和14年12月1日 | 昭和17年8月1日 | 待命 昭和17年8月2日予備役 |
昭和15年8月1日陸軍軍医中将進級 |
井深健次 軍中将 | 昭和17年8月1日 | 昭和19年12月13日 | 陸軍軍医学校長 | |
原田 豊 軍中将 | 昭和19年12月13日 | 昭和20年8月27日 | 臨時東京第3陸軍病院長 | |
(兼)井深健次 軍中将 | 昭和20年8月27日 | 昭和20年11月30日 | 待命 昭和20年12月1日予備役 |
陸軍軍医学校長の兼勤 |
原田 豊 軍中将 | 昭和20年11月30日 |
附
氏名 | 就任 | 退任 | 次職 | 備考 |
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芳賀榮次郎 三軍正 | 明治35年3月14日 | 広島衛戍病院長心得 | 陸軍軍医学校教官を兼ねる | |
山口弘夫 三軍正 | 明治40年12月27日 | 明治42年7月14日 | 東京第1衛戍病院長 兼陸軍軍医学校教官 |
明治41年12月21日陸軍二等軍医正進級 |
高橋勝彦 三軍正 | 明治41年11月27日 | 鉄嶺衛戍病院長心得 | ||
内村安太郎 一軍医 | 明治41年10月22日 | 明治43年8月30日 | 陸軍三等軍医正・近衛歩兵第4聯隊附 | |
鶴田禎次郎 一軍正 | 明治42年7月14日 | 日本赤十字社病院副院長 | ||
橋本監次郎 三軍正 | 大正2年8月22日 | |||
大野久次郎 一軍医 | 大正5年2月18日 | 澎湖島重砲兵大隊附 兼澎湖島衛戍病院長 澎湖島要塞司令部附 |
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勝野克己 三軍正 | 大正7年12月17日 | 大正10年2月12日 | 陸軍軍医学校附 | 陸軍軍医学校教官を兼ねる |
野崎藤三郎 二軍正 | 大正9年1月23日 | 大正9年4月9日 | 熊本衛戍病院長 | |
井之口太一 二軍正 | 大正9年1月30日 | 大正12年3月17日 | 第11師団軍医部長 | 大正12年2月28日陸軍一等軍医正進級 |
正木 豊 三軍医 | 大正9年10月26日 | 大正13年8月20日 | 陸軍一等軍医・陸軍省医務局課員 | 大正10年4月1日陸軍二等軍医任官 |
中山直秀 三軍正 | 大正9年時点 | 陸軍省医務局課員を兼ねる | ||
法貴六郎 三軍正 | 大正10年2月12日 | 陸軍軍医学校教官を兼ねる | ||
星野健太郎 三軍正 | 大正13年3月15日 | 昭和2年7月26日 | 陸軍軍医学校部員 | 大正13年8月20日陸軍二等軍医正進級 |
田島清十郎 一軍正 | 大正14年5月1日 | 昭和2年3月5日 | 第9師団軍医部長 | 陸軍軍医学校教官を兼ねる |
橋本盛十郎 二薬正 | 大正14年5月1日 | 昭和4年8月1日 | 陸軍衛生材料廠廠員 | 第1師団軍医部部員を兼ねる 大正14年8月7日陸軍一等薬剤正進級 |
松山俊夫 一軍正 | 大正14年8月7日 | 昭和2年9月12日 | 在職中に死去 | |
小島佐太郎 一軍正 | 昭和2年3月5日 | 昭和3年8月10日 | 龍山衛戍病院長 | |
梶井貞吉 一軍正 | 昭和2年7月26日 | 昭和3年3月8日 | 陸軍省医務局衛生課長 | |
石黒大介 一軍正 | 昭和2年7月26日 | 昭和4年8月1日 | 名古屋陸軍病院長 | |
鷹津三郎 二軍正 | 昭和2年7月26日 | 昭和4年8月1日 | 陸軍一等軍医正 陸軍科学研究所所員 兼陸軍軍医学校部員 |
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陶山吉喬 一軍正 | 昭和3年3月8日 | 昭和6年8月1日 | 第9師団軍医部長 | |
中村順一 一軍正 | 昭和4年8月1日 | 昭和6年8月1日 | 陸軍軍医学校教官 | 陸軍軍医学校教官を兼ねる |
木村敏藏 一薬正 | 昭和4年8月1日 | 昭和6年3月11日 | 待命 昭和6年3月27日予備役 |
第1師団軍医部部員を兼ねる |
(兼)三内多喜治 二軍正 | 昭和5年8月1日 | 昭和12年8月2日 | 陸軍軍医少将・待命 昭和12年8月28日予備役 |
陸軍軍医学校教官の兼勤 昭和7年8月8日陸軍一等軍医正進級 |
武藤太利三 一軍正 | 昭和6年8月1日 | 昭和7年4月11日 | 龍山衛戍病院長 | |
梛野 嚴 二軍正 | 昭和6年8月1日 | 陸軍軍医学校教官を兼ねる | ||
冨家光雄 二軍正 | 昭和6年8月1日 | |||
武内三千春 一軍正 | 昭和7年4月11日 | 昭和8年4月10日 | 習志野衛戍病院長 | |
水野 操 三軍正 | 昭和7年4月11日 | 陸軍省医務局課員を兼ねる | ||
冨家光雄 二軍正 | 昭和7年5月31日 | 昭和10年8月1日 | 陸軍一等軍医正・姫路衛戍病院長 | |
(兼)竹内 釼 二軍正 | 昭和7年 | 陸軍軍医学校部員の兼勤 | ||
(兼)上原 慶 二軍正 | 昭和8年12月20日 | 昭和13年3月1日 | 第11師団軍医部長 | 陸軍軍医学校部員の兼勤 昭和12年11月1日陸軍軍医大佐進級 |
北川 順 一薬正 | 昭和10年3月15日 | 昭和11年8月1日 | 陸軍薬剤監・陸軍軍医学校部員 | 第1師団軍医部部員を兼ねる |
渡邊甲一 三軍正 | 昭和10年3月15日 | 昭和11年12月1日 | 陸軍軍医学校部員 | 昭和10年8月1日陸軍二等軍医正進級 |
(兼)小宮山友則 一軍正 | 昭和10年3月15日 | 昭和13年7月15日 | 陸軍軍医少将・広島陸軍病院長 | 陸軍軍医学校教官の兼勤 陸軍軍医学校部員の兼勤 |
(兼)原田 豊 二軍正 | 昭和10年3月15日 | 昭和14年8月1日 | 陸軍軍医少将・陸軍軍医学校附 | 陸軍軍医学校教官の兼勤 昭和11年8月1日陸軍一等軍医正進級 |
植林昌四郎 軍大佐 | 昭和13年3月1日 | 昭和14年8月1日 | 第3師団軍医部長 | |
松本秀治 軍中佐 | 昭和13年3月1日 | 昭和18年6月10日 | 第23軍軍医部長 | 陸軍軍医学校教官を兼ねる 昭和16年3月1日陸軍軍医大佐進級 |
(兼)細谷 清 軍大佐 | 昭和14年8月1日 | 昭和15年8月1日 | 第15師団軍医部長 | 陸軍軍医学校教官の兼勤 |
(兼)廣瀬義夫 軍大佐 | 昭和15年8月1日 | 昭和18年3月23日 | 第18軍軍医部長 | 陸軍軍医学校教官の兼勤 |
原田嘉元 軍大佐 | 昭和16年6月14日 | 昭和17年7月1日 | 第15師団軍医部長 | |
逆瀬川幸禎 軍少佐 | 昭和18年7月14日 | 第8方面軍司令部附 | 陸軍省医務局課員を兼ねる 教育総監部附を兼ねる 大本営陸軍幕僚附を兼ねる | |
(兼)佐々木 進 軍中佐 | 昭和18年7月14日 | 第8方面軍司令部附 | 陸軍軍医学校教官の兼勤 | |
江村守一 軍大佐 | 昭和18年3月1日 | 昭和19年1月7日 | 大阪陸軍病院長 | |
溜淵末太郎 予主中佐 | 昭和18年3月26日 | 昭和19年3月3日 | 陸軍需品本廠廠員 | |
萩本 弘 軍大佐 | 昭和18年6月3日 | 昭和19年7月18日 | 第36軍軍医部長 | |
岡崎英夫 軍少佐 | 昭和18年6月18日 | |||
(兼)細谷 清 軍大佐 | 昭和18年8月2日 | 昭和19年3月22日 | 南方第1陸軍病院長 | 陸軍軍医学校教官の兼勤 |
大久保 忠 軍少佐 | 昭和18年11月24日 | 昭和19年4月20日 | 鉾田陸軍飛行学校附 | |
佐々倉 操 軍大佐 | 昭和19年1月7日 | 留守第53師団軍医部長 | ||
小俣重信 軍少佐 | 昭和19年1月12日 | 岐阜陸軍病院附 | ||
吉津 博 軍少佐 | 昭和19年3月1日 | 第5飛行師団軍医部部員 | ||
(兼)出月三郎 軍大佐 | 昭和19年3月1日 | 陸軍省医務局衛生課長 、野戦衛生長官部部員 |
陸軍軍医学校教官の兼勤 | |
伊藤清次 軍少佐 | 昭和19年3月20日 | 南支那防疫給水部部員 | ||
岡村 茂 軍少佐 | 昭和19年3月20日 | 陸軍航空士官学校附 | ||
近藤正文 軍大尉 | 昭和19年3月20日 | 陸軍兵器行政本部附 兼陸軍軍医学校附 |
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原 大次郎 薬中佐 | 昭和19年3月22日 | 臨時福岡第2陸軍病院附 | 陸軍軍医学校教官を兼ねる 近衛第1師団軍医部部員を兼ねる | |
(兼)玉村一雄 軍少佐 | 昭和19年3月30日 | 南方第12陸軍病院附 | 陸軍軍医学校部員の兼勤 | |
大越新一 軍少佐 | 昭和19年4月1日 | 陸軍航空通信学校附 | ||
(兼)德岡三郎 軍少佐 | 昭和19年5月23日 | 南方第12陸軍病院附 | 陸軍軍医学校部員の兼勤 | |
(兼)羽生田 潔 軍中佐 | 昭和19年6月26日 | 柏陸軍病院長 | 陸軍軍医学校教官の兼勤 | |
荒井 謙 軍少佐 | 昭和19年7月8日 | 陸軍経理学校附 | ||
阿知波五郎 軍少佐 | 昭和19年9月10日 | 佐倉陸軍病院長 | ||
熊澤 武 軍少佐 | 昭和19年9月10日 | 福知山陸軍病院長 | ||
上村透一 軍中佐 | 昭和19年12月5日 | 第55航空師団軍医部長 | 陸軍軍医学校教官を兼ねる | |
神宮 格 軍中佐 | 昭和19年1月29日 | 昭和19年9月10日 | 高崎陸軍病院長 | |
佐々倉 操 軍大佐 | 昭和19年2月14日 | |||
庵 政三 軍中佐 | 昭和19年3月1日 | 昭和20年8月29日 | 臨時東京第3陸軍病院附 | |
神崎 知 軍少佐 | 昭和19年3月1日 | |||
氏家 實 予主中佐 | 昭和19年3月3日 | |||
(兼)岡田恒吉 軍大佐 | 昭和19年3月28日 | 昭和19年10月26日 | 陸軍軍医学校幹事 | 陸軍軍医学校教官の兼勤 |
西村孝四郎 軍少佐 | 昭和19年3月時点 | 陸軍軍医学校教官を兼ねる | ||
吉村松雄 軍少佐 | 昭和19年4月14日 | 昭和19年7月10日 | 陸軍軍医学校附 | |
(兼)弓野 勳 軍少佐 | 昭和19年4月22日 | 陸軍軍医学校部員の兼勤 | ||
中澤德弥 軍少佐 | 昭和19年6月17日 | |||
大和田 勇 軍少佐 | 昭和19年7月20日 | 昭和20年11月29日 | 水戸陸軍病院附 | |
(兼)西脇忠男 軍中佐 | 昭和19年7月20日 | 昭和20年5月17日 | 第11飛行師団軍医部長 | 陸軍航空本部医務部部員の兼勤 |
(兼)蒲 吉次 軍少佐 | 昭和19年7月20日 | 陸軍航空適性検査部部員の兼勤 | ||
對馬 健 軍少佐 | 昭和19年8月11日 | 昭和20年11月29日 | 弘前陸軍病院附 | |
荒井元吉 軍少佐 | 昭和19年10月時点 | 陸軍戸山学校附を兼ねる | ||
本橋 均 軍少佐 | 昭和19年時点 | 陸軍軍医学校教官を兼ねる | ||
遠藤勝治 軍中佐 | 昭和20年2月12日 | 陸軍兵器行政本部医務部部員 | 陸軍軍医学校教官を兼ねる | |
古屋惟七郎 予軍少佐 | 昭和20年5月10日 | 臨時東京第3陸軍病院附 | 陸軍省医務局附を兼ねる | |
(兼)村形友治 軍少佐 | 昭和20年1月29日 | 陸軍軍医学校附の兼勤 | ||
高木千年 軍中佐 | 昭和20年2月1日 | |||
近山龍太 軍大佐 | 昭和20年時点 | 陸軍省人事局附を兼ねる | ||
山田正次 軍中佐 | 昭和20年時点 | 陸軍省医務局附を兼ねる | ||
關口 永 軍中佐 | 昭和20年時点 | 陸軍省医務局附を兼ねる | ||
井上義弘 軍中佐 | 昭和20年時点 | 俘虜関係調査部附を兼ねる | ||
石野誠三 薬中佐 | 昭和20年時点 | 第1総軍司令部附を兼ねる | ||
小野田敏郎 軍少佐 | 昭和20年時点 | 陸軍省医務局課員を兼ねる 教育総監部附を兼ねる | ||
井上 太 軍少佐 | 昭和20年時点 | 陸軍省人事局附を兼ねる | ||
秋田文男 薬少佐 | 昭和20年時点 | 陸軍軍医学校附を兼ねる | ||
服部保一 軍大佐 | 昭和20年8月27日 | 昭和20年11月29日 | 立川陸軍病院長 | |
(兼)武本武夫 軍大佐 | 昭和20年9月28日 | 昭和20年11月29日 | 鹿児島陸軍病院長 | 第1総軍司令部附の兼勤 |
森村鹿之助 軍少将 | 昭和20年10月1日 | 昭和20年11月29日 | 振武台陸軍病院長 | |
天野 潔 軍少佐 | 昭和20年10月25日 | |||
(兼)出月三郎 軍大佐 | 昭和20年11月29日 | 陸軍省医務局衛生課長の兼勤 | ||
梅本源一郎 軍中佐 | 昭和20年9月28日 | 陸軍省人事局附 | ||
門馬公道 軍少佐 | 昭和20年10月31日 | 盛岡陸軍病院附 | ||
梅本英夫 軍少佐 | 昭和20年11月27日 | 下関陸軍病院附 | 陸軍省医務局附を兼ねる | |
石川元雄 軍大佐 | 昭和20年11月29日 | 千葉陸軍病院長 | ||
渡邉 進 軍中佐 | 昭和20年11月29日 | 山形陸軍病院長 | ||
高浦剛七郎 軍中佐 | 昭和20年11月29日 | 岡山陸軍病院附 | ||
加藤常長 軍中佐 | 昭和20年11月29日 | 山形陸軍病院附 | ||
小泉万次郎 軍中佐 | 昭和20年11月29日 | 小倉陸軍病院附 | ||
戒能一郎 軍中佐 | 昭和20年11月29日 | 松山陸軍病院附 | ||
五十嵐 衡 軍中佐 | 昭和20年11月29日 | 国府台陸軍病院附 | ||
島田英夫 軍中佐 | 昭和20年11月29日 | 善通寺陸軍病院附 | ||
二宮 明 軍中佐 | 昭和20年11月29日 | 大阪第1陸軍病院附 | ||
出井勝重 軍中佐 | 昭和20年11月29日 | 京都第1陸軍病院附 | ||
本郷正二 軍少佐 | 昭和20年11月29日 | 金沢第1陸軍病院附 | ||
伊東 詮 軍少佐 | 昭和20年11月29日 | 津陸軍病院附 | ||
田中桂一 軍少佐 | 昭和20年11月29日 | 福岡第1陸軍病院附 | ||
高木達郎 軍少佐 | 昭和20年11月29日 | 松江陸軍病院附 | ||
近藤正文 軍少佐 | 昭和20年11月29日 | 和歌山陸軍病院附 | ||
安倍伯彦 軍少将 | 昭和20年11月30日 | 待命 昭和20年12月1日予備役 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 「陸軍異動通報」
- 「官報」